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Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

語る―ガルシア=マルケス『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』

今回は、前回の記事で触れた書籍、G.ガルシア=マルケス『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』(木村榮一訳、新潮社2014)についての紹介です。

 

ぼくはスピーチをするために来たのではありません

ぼくはスピーチをするために来たのではありません

 

 

この書籍はガルシア=マルケスが1944年~2007年までおこなった22回の講演をまとめたものです。ただし、最初の1944年のものは17歳の時のもので、作家として本格的に講演したのは1970年から。

ガルシア=マルケスは大の「講演恐怖症」だったらしく、生涯でおこなった講演はこれだけなんだそう。この本に収められているもののうち2本はノーベル賞関係(授賞式と晩餐会におけるスピーチ)であるから、いかに普段語っていなかったか。

しかし、我々日本人にお馴染みの世界的作家、村上春樹さんもほとんど語らないためか、何だかこんなものだろうと思ってそれほど驚かなかったというのが正直なところです(笑)

小説家は作品が残ればそれでいい気もします。

以下、印象に残った言葉を引用しつつ、紹介していきたいと思います。

 

■「詩に乾杯」――スウェーデンストックホルム、1982年12月10日)

 

 

「詩というのは結局のところ、台所でエジプト豆を煮炊きし、愛を伝染させ、鏡に自分を映すといった日常の営みの秘められたエネルギーにほかなりません。」

(42頁より引用)

 

この講演はガルシア=マルケスノーベル賞を受賞した時の晩餐会で語られたものです。

私は詩人ではありませんが、この言葉は大好きで、詩に限らず、文芸創作には多かれ少なかれ、こういうエネルギーがあるように思います。日常、日々の営みからしか芸術は生れないんじゃないか、何故なら芸術を生むためには生きるしかないから。この素朴な創作観、忘れないで大切にしていきたいです。

 

 

■「誰からも愛されるようになったアルゼンチン人」――メキシコ市、1994年2月12日

次にご紹介するのは、当ブログで以前数回に分けて紹介したラテンアメリカ文学の作家について書いたものです。

過去記事↓↓

mihiromer.hatenablog.com

 

そう、フリオ・コルタサル

とても好きな作家について書かれていたのでこの講演が一番好きかもしれません。はじめコルタサルが亡くなった数日後の1984年2月22日に記事の形で発表され、その十年後にコルタサルへのオマージュとして発表されたそうです。ついで2014年2月14日にガルシア=マルケスとカルロス・フエンテスが主催した≪フリオ・コルタサル講座≫の開会記念討論会の≪フリオ・コルタサル回顧≫において読み上げられたもの。

 

「おそらく意図していたわけではないのでしょうが、彼は誰からも愛されるようになりました。ですが、あえてひとこと言わせていただきます。これは仮定の話ですが、死者が別の世界で生きていると仮定して、死者たちの住む世界にいるコルタサルが自分の死を世界中の人たちが悲しんでいると知ったら、きっと恥ずかしさのあまり向こうの世界でもう一度死にそうになるでしょう。」(111頁より引用)

 

1968年にカルロス・フエンテス、フリオ・コルタサル、ガルシア=マルケスの3人で(豪華!)プラハを訪れた時の思い出を回想したり(この時のコルタサルのジャズ語りが激熱だったらしい)、ガルシア=マルケスコルタサルその人の印象を語ったものなどなど、懐かしさや敬意のこもった追悼でした。

 

■「新しい千年への序言」――ベネズエラ、カラカス、1990年3月4日)

≪形態と心象。ラテンアメリカにおける絵画75年 1914―1989≫という展覧会の開会式で語られた言葉。短いのですが、「想像力」というものの重要性をあらためて感じさせられました。

 

「想像力とは、新世界でもっとも豊かで必要不可欠な基本的資質です。その新世界から生まれた幻視的な画家百人が描いた百枚の絵は、ただ単に展示されているだけではありません。それはまだ発見されていないひとつの大陸の大いなる予感であり、その中で死は至福感に打ち壊され、永遠の平和、ゆとりある時間、健康、温かい食べ物、心地よいリズムのルンバ、そうした万人にとってよきものが今よりもふんだんに手の届くものになるでしょう。それを二つの言葉でいうと、マス・アモール(もっと愛を)、ということになります。」

(74頁から引用)

 

大航海時代と呼ばれた時代、ヨーロッパ人たちがアメリカ大陸に足を踏み入れた頃、それ以前にそこに暮らしていた人々は火薬も羅針盤も知らなかったでしょう。しかし、彼らは「果てしなく広がる夜空にきらめく星を眺めて、地球はオレンジのように丸いのではないのだろうかと考えたにちがいありません。」(72頁) そんな彼らが侵略者(この場合、ヨーロッパ人)から身を守るために生み出した≪黄金郷≫伝説は想像力の賜物に他なりません。

また、人類が初めて月面に降り立った時(1969年7月21日)の映像がテレビに流れた時に、それを見ていたラテンアメリカの子供たちは≪本当にはじめてなの?≫ ≪ばかみたい!≫と言ってがっかりしたように部屋から出て行ったというエピソードも紹介されています。子供たちにとっては「月に降り立つ」ということはすでに想像の中で経験済みだったのです。だからテレビのアナウンサーの熱狂が馬鹿らしく聞こえてしまったのだろう、と(笑)。 子供たちが持っている柔軟な想像力、いいですね、この話を読んだ時にあたたかな笑いがこみあげてきました。

 

最後に、「想像力」ということに関連してひとつだけ引用します。

「二十一世紀に向けての幻想」という題で、1999年3月8日にパリで行われた≪新しい千年に向けてのラテンアメリカカリブ海≫というセミナーの講演からです。

 

「二十一世紀に何も期待してはいけません。逆に二十一世紀があなた方にすべての期待をかけているのです。新しい世紀はすでに出来上がったものとして訪れてくるのではなく、われわれが自分のあるべき姿としてイメージするものに合わせてあなた方が作り出すようにと待ち受けています。そして、あなた方がそのように思い描けばその通りの、平和で、われわれ自身のものである世界になることでしょう。」

(154頁-155頁)

 

私が考える「歴史」というものに対する「硬直した認識」の逆のことを語っているのだと思います。つまり、「今、生きていることの連鎖」として未来の時を語るということ。

私にとって「歴史」という言葉は専ら「過去」というものに対しての意味づけでしかありません。「歴史」とは我々人間によって「書かれた物」、そう言ってしまえば当たり前に聞こえてしまいますが、「書く」という行為または「語る」という行為には、多くの取捨選択、語り手の思惟が含まれます。それ故に私にとって「歴史を書くこと」と「小説を書くこと」は似たようなものに思われていました。(勿論、歴史を書くことに関して言えば、学問的に厳密に史資料を分析した結果なのですが、資料の選択や分析の過程でどうしても研究者の主観が入り込んでしまうものです。)だからこそ、私にとって「歴史」は硬直したものでした。取捨選択の果てに書かれて「固定」されたものだからです。小説も同様で作品としてやはり「決着がつけられ」、「固定」されたものだと考えていました。

しかし、今この瞬間もやがては「過去」になるという視点で考えれば、硬直した認識も解きほぐれていくものです。もっとゆるやかに考えてみてもいいかな、なんて思えたのでした。キーワードは「想像力」、ひと言でいえば、「物語ろう」。私達ひとりひとりの「想像力」や「物語」がこれからの世界をつくっていくのかもしれません。

 

 

【余談】

「歴史」については、今年の始めごろだったか昨年末であったか、twitterで考えさせられたことでした。ちょっとした会話だったのですが、それだけで随分自分の認識が広がったように思われ、とても有意義な出来事でした。現実と物語がどう関わっているのか、ということ。