言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

『ボルヘスとわたし』と私―ボルヘスについてまとめ

これまで何度かに分けてボルヘスの『伝奇集』や『創造者』について書いてきたが、時々引用につかっていた『ボルヘスとわたし』という書物について、一記事書くことは無意味なことではないと思う。私が用いていたのは、J.Lボルヘス著、牛島信明訳『ボルヘスとわたし―自撰短篇集』(新潮社 1974年)版で、引用も専らここからしていたが、おそらくこの本は絶版になっているだろう(図書館の閉架書庫に埋まっていたくらいですし)。それで調べてみたところ、ちくま文庫になって2003年に発売されている版があるようだ。

 

ボルヘスとわたし―自撰短篇集 (ちくま文庫)

ボルヘスとわたし―自撰短篇集 (ちくま文庫)

 

このブログの記事では相変わらず私の手元にある新潮社版を用いているので、頁番号などは新潮社版になっていることを予め明記しておきたい。

ボルヘスとわたし―自撰短篇集 (1974年)

 

この書物は大まかに三つの部分からなっている。

ボルヘス自身が撰んだ短篇小説作品、Ⅱボルヘスの「自伝風エッセー」、Ⅲボルヘス自身による自作の注釈の三つだ。

 

収録されている短篇小説作品について以下にメモ程度に列挙しておく。

アレフ」「バラ色の街角の男」「アル・ムターシムを求めて」「円環の廃墟」「死とコンパス」「タデオ・イシドロ・クルスの生涯」「二人の王様と二つの迷宮」「死んだ男」「もうひとつの死」「自分の迷宮で死んだアベンハカーン・エル・ボハリー」「入り口の男」「肝魂信仰」「囚われた人」「ボルヘスとわたし」「創造者」「じゃま者」「不死の人びと」「めぐり合い」「ペドロ・サルバドーレス」「ロセンド・フワレスの物語」

 

他の短篇集の全訳とは異なり、いろいろな局面のボルヘス作品が一冊におさまっている。この一冊に目を通せば、ボルヘスの一般的イメージ(私はこのイメージしか知らなかった)がいかに単一的なものかがわかる。つまり「ボルヘス=幻想作品」というイメージだけでボルヘスを知ったような気になっていたことに私は気がついた。

 

ボルヘスの別の短篇集『ブロディ―の報告書』(鼓直訳、岩波文庫2012年)の訳者解説にボルヘス作品についてわかりやすい分類が提示されていたので、以下に簡単にまとめておく。

 

ボルヘス作品は大まかに三つに分類できる。

  1. エッセー的な作品=「記憶の人、フネス」「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」「ハーバート・クエインの作品の検討」「ユダについての三つの解釈」
  2. 中間的な形式による作品=「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」「アル・ムターシムを求めて」「アレフ」「ザーヒル」「バビロニアのくじ」「バベルの図書館」
  3. ストーリーの形式を備えた作品=「裏切り者と英雄のテーマ」「円環の廃墟」「死とコンパス」「八岐の園」、『ブロディ―の報告書』に収められた短編作品

 

さらに訳者解説をまとめると、①②におけるボルヘスの意図は、本来のエッセーのなかで論じているような哲学的な観念を核として、それにフィクションを仮装させること。③におけるボルヘスの意図は、物語のための物語を書こうという意志が前面に押し出されていて、プロットが重要なものになること、はっきりした輪郭を備えた登場人物が登場すること、だという。

 

ボルヘス作品を集中的に読んだこの一ヵ月の私の感想は、どうも私はボルヘス作品の中でも②と③に分類されるものが好きらしい。ただし、『ブロディ―の報告書』というボルヘス後期の代表作、リアリスティックな物語はあまり好きではない。

ボルヘスは友人の名前を自作に取り込む「手口」を好んで使っている。故にエッセーなのかフィクションなのかよくわからない作品が多い。私はボルヘス作品に対して「あまりにエッセーに近づきすぎた作品」と、「あまりに物語に近づきすぎた作品」が嫌なのかもしれない。結構、我儘な読者である笑。だからまだ読んではいないのだが初期短篇作品『汚辱の世界史』は好きにはなれないかもしれない。

 

私はボルヘスの文章の端々に見える書くことへの謙虚さが大好きなのだ。例えば、「アレフ」において、それを描写するにあたり「世界は書ききれない」ことを暗に書いているように思えるし、より直接的には『創造者』のエピローグに世界を書ききることができないとはっきり書いている。(過去記事参照)

mihiromer.hatenablog.com

 

最後に、『ボルヘスとわたし―自撰短篇集』のⅡ自伝風エッセーから、私がとても共感した部分を引用して、ボルヘスを巡る一連の更新を閉じたいと思う。

 

「子供心にいつも、愛されるということは、自分には過分なことなのではなかろうかと考えていた。だから誕生日に、それにふさわしいことを何ひとつした覚えがないのに、皆がわたしの前に贈り物を積み上げているのを見ると恥ずかしくてたまらず、自分は一種のペテン師ではなかろうか、と思ったりした。こういう感情からすっかり解放されるようになるのは三十歳を過ぎてからである。」(156頁より引用)

 

この「自伝風エッセー」はこう閉じられる。

 

「わたしがいま求めているものは平安であり、思索と友情の喜びであり、そしてこれは望蜀にすぎるかも知れないが、人を愛しているという、そして愛されているという実感である。」(210頁より引用)