思うに「ある作家に遭遇する」ということは、その作家の書籍や作品を見かけるということとは別のことだ。見かけるだけなら、年間何百人もの作家の存在があるが、それは遭遇ではない。「読んだ」というのも遭遇ではない気がする。ある作家に遭遇するということは、自分の人生に墨汁を叩きつけられるようなもので、そういう風に思える作家は年に数人しかいないだろう(私がブログで取り上げている作家は自分にとって遭遇したと呼べる人々だ、ひたすら一方的ではあるが・笑)。
先日、仙田学という作家に遭遇した。読書のきっかけというのは本当にさまざまだ。今回この作家に出会えたのは延々とコルタサル作品を読み続けたからだと思う。変なものの先に、変なものがあった、という気がする。デビュー作が強烈すぎてよくわからなかったけれど(これについてもどこかで書きたい)、「盗まれた遺書」という作品は面白かった。
2014年にでたこの単行本の収録作品は以下
「盗まれた遺書」
「肉の恋」
「乳に渇く」
「ストリチア」
「中国の拷問」(デビュー作)
単行本になっていない作品も多く、まだまだ知らないことのほうが多い作家だ。もっと早く出会っていればよかったのだが、今以上に早く遭遇することはできなかっただろう(何せ私がどんくさいから)。
今回からしばらくこの本から記事を書いていくことにしようと思う。
http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20140417/p2
↑
岡和田晃という人の書評が面白く、予定を繰り上げて『盗まれた遺書』を読み始めた。
初めて読んだ時の印象は「一体何を読まされているんだ?俺は。」だった。この感覚は私が読んできた日本の作家なら安部公房『箱男』ぶり。「箱男」は箱男が書いたとされる手記を軸に展開する不可思議な語りの小説である。この作品にはそんな不思議さというか気味の悪さみたいなものを感じた。信用ならない語り手というか。一体何をどう読んだらいいものか、というか。
一通の謎の遺書があって、それにかかわる「盗り続ける男」と「撮り続ける女」がいて、さらにそのまわりにもいろいろな関係性があって、そんなことが全部遺書に書いてある、といった独特の雰囲気。
今回は動画貼ったり参考URLを貼ったりするための更新なのでこのくらいにしておきます。次回からもうちょっと何か感想めいたことを書いていく予定です。これについてなにか書こうとするとメタフィクションじみてくるから困ってます(苦笑)