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Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

エイハブと鯨を結びつける線―メルヴィル「白鯨」

 

「白鯨」という作品の中で、おそらく最も描かれている人間がエイハブ船長だろう。私は小説の語り手にもなっているイシュメールという青年以上にエイハブ船長について考えてしまうし、たぶんほとんどの読者はそうだと思う。

物語の序盤にエイハブの姿はない。代わりに出航前のピークオッド号の指揮はピーレグ船長とビルダッド船長とが執っている。ピーレグ船長がイシュメールに対して語った言葉に印象的なものがあるので一つ引用しておこう。

 

「エイハブがどうにもならん悪党だとかんがえられるか? いや、いや、そうではない、傷つき、ゆがんでいるとはいえ、エイハブにはエイハブなりの人間性があるのだ!」

 (八木敏雄訳『白鯨』岩波文庫 上巻 227頁より引用)

 

訳注によると「エイハブ」と言う名は旧約聖書「列王記上」のアハブからとられたもので、これは聖書的には不吉な名前である。しかし、それでもなお登場人物に「エイハブにはエイハブなりの人間性があるのだ!」と語らせるということを考えると、なかなか一筋縄でいかない存在なのだろうとまずは思った。いや、そもそも一筋縄で理解できる人間などいるわけはないのである。エイハブという人物の造形には時に矛盾を含みながらも、それそのものが人間らしさとして肯定されているように見える。

 

エイハブはかつて「白鯨(モービィ・ディック)」に片脚を食いちぎられた経験を持つ。そして失った片脚の代りにそこには鯨骨で作った義足がある。今度の捕鯨航海で心中固く白鯨に対する復讐を誓っているのである。義足の音を不気味に響かせながら。その様はまるで何かに憑りつかれたよう、彼の心の中にはただただ白鯨が遊弋しているのだ。

 

「ある種の深遠な洞察力と感受性の持ち主にとって、自己の内部を侵食し、ついには心臓の半分と肺臓の半分までをも食らいつくし、残余の部分で生きることを余儀なくさせると感じられるほどの諸悪の根源の偏執狂的化身として、白鯨はエイハブの眼前を不断に遊弋することになったのである。」

(上巻450頁より引用)

 

私は神秘的な存在として描かれている「白鯨」がエイハブと重なり合うように思える。「白鯨」はエイハブの自己投影ではないだろうか?

そう考えたのは、エイハブの容姿と白鯨の姿に共通して、執拗に描かれる「しわ」のためだ。

 

「この怪物(白鯨)を他のマッコウ鯨から区別するものは、その常軌を逸した巨体にあるというより、すでにどこかでのべたことだが――そのしわだらけの雪白の額とピラミッドのように高くそびえるこぶにあったからである。」

(上巻448頁より引用)

 

「頭もこぶも乳白色で、額はしわだらけの怪物でした」

(第100章「脚と腕」のロンドンのサミュエル・エンダビー号の船長が白鯨について語った証言、下巻103頁)

 

他方エイハブについて語られている部分は以下。

 

「やがて規則ただしい鯨骨の義足の響きが聞こえてくる。甲板上にふみなれた道筋を行きつ戻りつするものだから、そのあたりの甲板は一面に独特の歩行の痕跡をとどめ、まるで氷河期の岩盤のように穴ぼこだらけになっている。それに、エイハブの溝をきざんだ窪みだらけの眉間に目をこらすがよい。そこには、さらに奇妙な足あとが見えてくることだろう――眠ることなくあゆみつづける思考の隻脚がきざむ足あとが。」

(上巻392頁―393頁)

 

「その間、エイハブの頭上に鎖でぶらさげられた白鑞(しろめ)のランプは船の動きにつれてゆれ、その語いてやまぬ光と影の線がエイハブのしわだらけの額に投影されて、当人がしわだらけの海図や線や航路をかきこんでいるあいだにも、何か目に見えない鉛筆が、その深いしわをきざむ額に線や航路をひいているかのようだった。」

(中巻40頁-41頁)

 

書き出していくとキリがないほど、エイハブの額の「しわ」は描かれている。特にエイハブの外面と内面、行動と心理が一致したような見事で印象的な文章を二つ引用した。

 

エイハブと白鯨はこの「しわ」という線によって小説の描写で結ばれている。また捕鯨という実際的な行動においては、捕鯨者は銛に繋がれた綱によって鯨に結び付けられる。作中に張り巡らされた「線」が見えた時に、私はぞっとするものを感じる。

極めつけに作中で始終「理性的」に描かれている一等航海士のスターバックがこんなことを言う。「お笑いになるかもしれませんが、エイハブはエイハブに気をつけるがよい、あなた自身に気をつけるがよい、エイハブ船長――とわたしは申します」(下巻185頁)

 

エイハブは自己投影としての白鯨にしっかりと線で結びつけられている。それは読者にしか見えない描写や構成の線であったり、エイハブ自身が描く航跡や彼の表情としての「しわ」、または捕鯨ボートと鯨を結びつける鯨綱など作中の実際の風景であったりする。エイハブは絶対に白鯨を仕留めてみせる、と決意し、その決意に頑なに従う。その結果、彼鯨綱が首に巻き付き、絡めとられるように海に引きずり込まれるという最期を迎えるのだ。

 

「白鯨を追跡するというおぬしらの誓いに、おぬしらもしばられておるのだぞ。この老いぼれのエイハブは身もこころも、魂も肺臓も、そして生命(いのち)そのものも、その誓いにがんじがらめにしばられておる。」(下巻253頁 エイハブの台詞)

 

人間は、己からだけは逃げることができない。

たとえその己が矛盾を孕んでいて、目の前に見える運命が不条理だとしても、己からだけは逃れることができない。どんなに「理性的」な人間が止めたところで(スターバックは何度もエイハブに白鯨の追跡を諦めるように説得する)その言葉は力にならない。

エイハブのエイハブなりの人間性、それを引き受けるところにこの登場人物の迫力と悲愴があるのだろう。