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Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

時間と空間の飛躍から生まれる未来―「ハウルの動く城」感想

昨夜金曜ロードショーで久しぶりに映画「ハウルの動く城」をみた。この映画は私としては珍しく映画館に足を運んだ作品で思い出深いものである。それが2004年……。もう十年以上の月日が経過していることに驚きを禁じ得ない。

 

さて、久しぶりにみると、また違った角度から作品を眺めることができるもの。何度かみているけれど、今回も新たな発見というか、今までとは異なった部分に注目している自分に気が付く。

 

この作品は「時間と空間の移動」がとても多い。その「かなり無理のある移動」に違和感を生じないように作られた作品だ。空間の移動はまず「動く城」の物理的な移動。この城は確かに動いていて、前半でソフィーが乗り込むシーンや、ハウルの台詞「城を百キロほど動かしてくれ」から、「城」が物理的に存在し、かつ大地を動き回っていることが明確にされている。それにも関わらず、「城」の扉から繋がる外の世界は、城が物理的に存在している場とは異なっている。扉の装置を動かすことによって魔法が介在し、城とは関係のない街角に出たりする(ちなみにその「ハウルの城」と繋がっていると思われる街にある扉を外側から物理破壊しても「ハウルの城」本体には辿り着けない。街にあった扉の内側は廃墟なのだ)。

物語前半にマルクルが「別々の街」からの来訪者を出迎えるシーン、その直後、ソフィーが何度も扉の装置をいじっては出口の変化を確認するシーンが、こういった空間の不可解さを視聴者から取り去ってしまう。こういう設定をただ説明されても(例えば以上のように私が文章に書いたとしても)説得力なんてまるでない。ところが、映画をみているとそんな不可解さなど微塵も感じないのである。この説得力……! 

 

物語の後半にソフィーが働いていた帽子屋のある街が空襲に見舞われ、そこにいたソフィーたちは危機に陥る。カルシファーは魔法的な空間を守ることはできるが、爆弾からは守れない。つまり物理的に帽子屋を守ることはできない。そこでハウルが出て行ってしまう。「私たちがこの街にいるからハウルが物理空間を守るために戦いに行ってしまう」ということに気が付いたソフィーは、物理空間としての「城」に移動する。そしてそこから空襲されて燃え盛る街を眺める。そこでハウルは戦っているのだ。空襲を受けている「わたしたち」を別の地点から見ている「わたしたち」がいる。今回こんなことに気が付いて新鮮な驚きを感じた。

この構造は終盤のソフィーがハウルの少年時代(過去)に行くという「時間の移動」と相まって物語はクライマックスを迎える。ソフィーの「未来で待っているから」というセリフが時空間を越えて、ハウルとの再会(そして救済)を可能にする。

 

EDでデータ放送を見ると、主題歌についての解説のようなものを見ることができた。その一部をここに書こうと思う。

 

〈世界の約束〉

誓いと契約に縛られた魔法使いと、長女という立場に自分を縛りつけていた少女。不自由から解放された2人は地面を離れ、宙を飛んでいきます。心を取り戻したハウルと、自分を取り戻したソフィーの冒険はこれからも続いていくんですね。

 

「心って重いの!」というソフィーの台詞。

その重さを、自己の存在の重さもすべて背負って、それでも悠々と飛んでいく城とバルコニーの上の二人には未来への予感が溢れている。