Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

精神的漂流? ――何故か「ロビンソン・クルーソー」を読む

 さて、なんとなく秋めいて参りました! 読書の秋でございますッ!(私の場合年中読書の季節なんですが……・微笑)

 しばらくブログを更新していない間に『ロビンソン・クルーソー』(岩波文庫)を読み始めてました。岩波文庫版の上巻があと100頁くらいで読み終わるといった所ですが……ここまでくると「絶海の孤島」じゃなくなっている(苦笑)抄訳版しか知らない、または子供向け絵本しか知らないと「変な」感じがします。まず漂流するまで100頁近くありましたもの。

 

ロビンソン・クルーソー〈上〉 (岩波文庫)

ロビンソン・クルーソー〈上〉 (岩波文庫)

 

 

 今ちょっとネットで調べてみた範囲ですが、「ロビンソン・クルーソー」って思ってた以上に複雑ですね。まず全部で三部ある、という事実。普段我々が漂流記として享受している「ロビンソン・クルーソー」は第一部のことのようです。ちなみに岩波文庫版の上巻が第一部「ロビンソン・クルーソーの生涯と奇しくも驚くべき冒険」、下巻が第二部「ロビンソン・クルーソーのさらなる冒険」のようです。このまま読み進めると第二部までは日本語で読めそう。第三部「真面目な省察」は……抄訳しかない上に絶版、我が街の図書館にないらしい(苦笑)第三部は『世界文学全集13デフォー』(講談社1978)という本に抄訳でまとめられているそうです(私が調べた範囲では現在第三部までの日本語版完全訳はないようです)。

 

 さて、何故今更「ロビンソン・クルーソー」なのか……? それは大量の書籍の海を漂流していた私が今年たまたま流れ着いた精神的絶海の孤島、それがこの岩波文庫版の「ロビンソン・クルーソー」だったのです。

 事の発端は今年の三月にミシェル・トゥルニエの「フライデーあるいは太平洋の冥界」を読んだこと、でしょうか(そもそもこの小説とて読むつもりはなく、単に同じ本に収録されていたル・クレジオ「黄金探索者」が欲しかっただけっていう……)。

 トゥルニエ「フライデーあるいは太平洋の冥界」、ついで程度に読んだわりに面白かったんですよ(ボソ)。ついでに今年初めにこちらも偶然ジョナサン・スウィフト「ガリヴァ―旅行記」とも縁があったんです。

 なんだか、空想旅行記な一年になりそうな予感漂う1月~3月……。そして今月ついに気になっていたデフォーの「ロビンソン・クルーソー」に手を出した次第。

 

フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-9)

フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-9)

 

 

 

 デフォーの「ロビンソン・クルーソー」を読みながら考えることはたくさんあるんだけれど、まだ上手く言葉にまとめることができません。一番思うのは「時代」ですかね。刊行されたのが1719年、バリバリの植民地建設時代(苦笑)現代の感覚とは随分違う表現も多々ありました。ですが、やはり「孤島」で自給自足しなければならなくなったという極限状態を生き延びるロビンソンの姿からは、どんなに時代が進んでも忘れてはいけないものがあるなぁ、とも思います。

それはズバリ「物作り精神」です。それから長い時間を耐えるということ。時間のかかる制作物にどっぷり手間暇かけるということ。簡単そうで意外と難しいことだと思います(200枚以上の小説を書くようになってから本当にそう思うようになりました)。

 変化の多い時代に生きているからなのか、我々はすぐに成果の出そうな仕事にばかり手を出している気がしてなりません。時間を要する事柄から逃げがちとも言えそうですが、結果がどうなるかわからないものを引き受けてドカッと腰を落ち着けて黙々と創作する度胸が欲しい……! そんなことを考えてしまいました(苦笑)

 創作に限らず生活上のことにも色々と手をかけて自分で創意工夫しながら生きていければそれは素敵なことだと思います(勿論「漂流」など極限状態に置かれることなく、ですが・汗)

 

 しばらくドカッと腰を落ち着けて「ロビンソン・クルーソー」を読もうと思っているので、ブログの内容もこの書物についての感想というか、読みながら考えたこと等になりそうです。今月は精神的に漂流していることを思い切り受け止めてしまえッ!! と、自分に言い聞かせながらのブログ更新でした。