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Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

安部公房『笑う月』を読んで思い出す夢のあれこれ

 新潮文庫安部公房『笑う月』を読んだ。表題作「笑う月」ほか著者が生け捕りにした夢のスナップショット全17編を収めた文庫本である。

 

目次は以下の通り。

・睡眠導入術

・笑う月

・たとえば、タブの研究

・発想の種子

・藤野君のこと

・蓄音機

・ワラゲン考

・アリスのカメラ

・シャボン玉の皮

・ある芸術家の肖像

・阿波環状線の夢

・案内人

・自己犠牲

・空飛ぶ男

・鞄

・公然の秘密

・密会

 

 夢の中という不条理な世界、だがその不条理を感じるのはあくまで「覚めている意識」なのであり、夢の中に「いる」限り、どんな不条理でも案外筋が通ってしまっていたりする。夢を集めて(枕元にテープレコーダーをおいて目覚めてからすぐに録音記録していたらしい)後から「覚めた意識」で著述する……安部公房の夢というものへの分析が非常に面白かった。たとえば、こんな具合に。

 

「夜空を見上げているとき、視野の周辺にちらと星影がうつり、視線をあらためて向けなおすと、かえって見えなくなってしまう事がある。眼をそらしてやると、再び視界に戻ってくる。網膜の中心部と、周辺部の、機能の分業からくる現象だ。夢と現実の関係にもどこか似たところがあるように思う。現実は、意識の中心部でより鮮明にとらえられるが、夢はむしろ周辺部でしかとらえられず、中心に据えることで、かえって正体を見失ってしまいかねない。」

安部公房『笑う月』新潮文庫 19-20頁より引用)

 

 

また、時々顔をのぞかせる創作論も興味深かった。少し長くなるが引用してみよう。

 

「モデル(現実)は想像力を挑発する。その結果生まれた登場人物(表現)が、単に加工され変形されたモデルではなく、まったく新しい創造物であってもべつに不思議はない。その通路が、通常の論理的思考(覚めた言葉)では辿りきれない迷路だったとしたら、その道を辿ろうとすること自体が無駄な努力というべきだろう。もっとも、迷路通貨の方法論があれば話はまた別だ。芸術が現実からの挑発である以上(ぼくはそう信じている)、いくら無いように見えても、なんらかの道筋はあるにちがいない。地図に作製しかねるような道だからこそ、創造的表現に辿り着けるのではあるまいか。

 夢の記録と収集は、つまり論理では辿り得ないその迷路をくぐり抜けるための、ぼく自身の方法なのである。」(前掲書 55-56頁より引用)

 

箱男」や「砂の女」といった安部公房作品についてもちらりと言及されている。

 

 夢の中の質感というのを「覚めている意識」で表現するのは非常に難しい。 できそうでできない、このもどかしさ。さすが「論理では辿り得ない迷路」である。「覚めている意識」で夢ほどにぶっとんだ思考が自在にできるのなら、どれほど楽しいことか、と思う。

 

 そういえば、ふと思い出した。夢を題材として取り扱った作品で興味深かったのは、ガルシア=マルケス「トゥバル・カインが星を作る(1948)」(新潮2015年1月号掲載、木村榮一 訳)だ。今回は詳しくは書かないが、この作品は悪夢の世界を描いた作品である。短編なので興味のある方は是非。

 

 理解不能な世界を当たり前のように理解し、受容している夢の中の自分よ……お前は一体何者なのか? と、人間の意識というものの複雑怪奇な有様を思うのである。

 

 最後に、私の中で印象に残っている夢の素描をしてみたい。

 一つ目は、「十字架の夢」である。これは幼少期に何度も繰り返しみた夢で、夢の中の自分はそれほど恐怖心は抱いていないのだが、目覚めてから急に恐ろしさが込み上げてくる夢だった。内容は、どういうわけか自分が磔刑に処せられるのである。十字架に両腕を括られて固定されるのを一日のうち数時間課せられるのである。ほとんど自発的に義務に忠実に磔刑に処せられるこの夢の中で自分は死ぬことは一度もなかった(たかが数時間の磔刑では死なないものか?)。

 二つ目の夢は「人形の眼の夢」である。これは一度しか見たことのない夢だが、あまりにインパクトが強かったのか十年ほど前にみた夢だが今でも覚えている。夢の中で友人宅にいる私は、友人の部屋にある棚の一番下の段に人形が横たわっているのを見つける。よくみるとその人形の眼は人間のものと変わらないリアルな質感を持っており動いたりしている。角膜のやわらかな潤い……白目の所々にある充血……。あの質感には夢の中の自分も覚めている自分も、気味の悪いものを感じた。

 三つ目、このあたりで終わりにしようと思うが、これはあんまり面白くはない。イマヌエル・カントの『純粋理性批判』を延々と脳内で反芻している夢であった。夢に自分は一切登場しない、安部公房が『笑う月』の中で書いている言葉を借りれば「情報」の夢。

「時間的にも、空間的にも、ぼくは夢のなかでなんの体験もしなかった。体験しなかったばかりか、体験する主体としての一人称感覚が完全に欠如していた。だから、夢の中で誰かに話したわけでもなく、話しかけられたわけでもなく、また読まされたわけでもなかったのだ。あれは単なる事実であり、情報であり、知識であり、言葉の積木細工にすぎなかった。」(前掲97頁より引用)

 

 まさにこんな夢で、延々と二律背反を証明しているのである……。夢の中では大変理解していたらしいのが奇跡的である。覚めた意識でこの夢ほどリアルにカントを感じたことはない。

 

 最近、夢についての小説を書いている(というか推敲作業をしている)ので、夢を題材にした小説を読んでみると、やはり得るものがあった。どなたか「夢を題材にした小説」のおススメなどがあれば是非とも教えていただきたい。