言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

日本文学

獣と人―河﨑秋子『ともぐい』

河﨑秋子さんの本は、私の空白を満たしてくれる存在だ。北海道という土地のことを知りたくて、編纂された歴史書をどんなに読んでもわからなかったこと、寡黙な親、祖父母が決して語らなかった「あの時」「あの場所」とも言うべき、かつて確かに人が生きてい…

どこにもなくて、遍くある―絲山秋子『神と黒蟹県』

〈蟹という字が書けるだろうか。〉 黒蟹営業所への異動が決まって、北森県から黒蟹県紫苑市へ赴任することになった三ヶ日凡。彼女が最初に思ったこんなことからこの小説は始まる。書き慣れない文字のある住所に移り住むこの感覚は転勤族の家庭で育った私には…

気配と手触り―小山田浩子『パイプの中のかえる』『かえるはかえる パイプの中のかえる2』

久しぶりに小山田浩子さんの短篇小説「広い庭」(『庭』新潮社、2018年所収)を読み返した。やっぱりいいな~この作品好きだな~と思った。文芸誌に掲載されたときに初めて読んで、その時もなんだかひとりで盛り上がって「これはちょっとすごいんでないか」…

蝉の声に触る―平沢逸「点滅するものの革命」

「普通」小説は存在しているものを書くか、書くことで何かを存在させようとするものだと思う。見えないもの、聞こえないもの、触れないもの、そういうものの感触を言葉にすることで存在させることができるのが小説だ。しかし、この作品はそもそも存在しない…

眠り舟―古川真人「港たち」

この「にぎやかな一家」に久しぶりに会えた。なんだかとても嬉しかった。彼らは本の登場人物たちなのだから、うちにあるこの著者の本を開けばいつでも会えるのだろうけれど、何故だか新作が出ると彼らの「近況」の便りを受け取ったような気持ちになる。そう…

透明な孤独の輪郭線―絲山秋子『海の仙人 雉始雊』

水晶浜ってどんなところ? とAIに訊いたら、福井県美浜町にある海水浴場で、その名前の由来は「白く透き通っていて光に透けているような砂が水晶のように見えることから付いた」のだと応えた。AIがいうことだから嘘か本当かはわからない、と思いかけて、いや…

おれたちの再審はすなわちおまえの審判だ!―大江健三郎『万延元年のフットボール』

死ぬことは、とても大変なことなのだと思う。そのくせ、自分が死ぬ時には魂がぽろっと崖から転げ落ちるようにあっけなく死ぬんじゃないかと思っている。楽をしたい。それはたぶん自分の中にある本当の地獄に向き合うのが恐ろしくて耐え難いからだ。死に至る…

生命観を描ける言葉―水沢なお『うみみたい』

ふえるって美しい、のだろうか? どうして生き物はふえたいのだろう? 太古の昔の海の中からずっとそうだったから? その「ずっと」を根拠に、私たちはふえつづけるんだろうか? 生命観、ということについて考えもした。ふえる(生殖する)ことへの意思、う…

何ぞかくとゞまるや―大江健三郎『懐かしい年への手紙』

大切な本の一節を、くりかえし読み返し続けている時に感じられる「永遠」というものが確かにある、と感じられる。今回紹介する『懐かしい年への手紙』という作品の中に、私はそういう「永遠」を見る思いがした。 ギー兄さんがダンテの『神曲』のある部分を説…

繭のような感想――大江健三郎『燃えあがる緑の木』

とにかく「意味」を求めたり与えたりしたくなる、というのは人間の習性なんだろうか? だれが、だれに、どうして、なんのために? 「意味」を与える(求める)ということについての問いは、その「意味」を巡って堂々巡りすることになる。答えはきっと空っぽ…

時間のゆくえ、星雲に浮かぶ小鳥の羽根の永遠―小川洋子『約束された移動』

――死者はとても耳がいいから、小さな声で充分なのだ。 という言葉を「巨人の接待」という作品の中に見つけて、なんだか安心した。というのも、私事で大変恐縮だが、先日同居のモルモットのこもるさんが亡くなったのだった。10月25日の深夜0時26分。飼い主の…

網の目の自立―森田真生『僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回』

私は子供の頃、一生大人になれないと思っていた、ような気がする。その当時実際にどう思っていたのかなんて今となってはある程度想像するしかないことなのだけれど、ひとつ確かに言えるのは、子供の私にとって世界が「圧倒的なもの」に見えていたことだ。目…

逃げると生きるは背中合わせ―絲山秋子『逃亡くそたわけ』

亜麻布二十エレは上衣一着に値する。 意味はわからない。だけどこれが本の文字の中に見えると、なんだか不安になってくるのだ。 亜麻布二十エレは上衣一着に値する。そしてこれは、この本の中に何回も出てくる。語り手である花ちゃんこと「あたし」にきこえ…

シュワシュワと、じーん―川上弘美『水声』

小説の中にあるものは、たぶん文字にして書かれただけでは存在できなくて、そうとは知れずとも少しずつうごいて変化していくもの、そのゆらぎの中にのみあるのかもしれないと思った。ひとつひとつの動作と、それに作用された物の変化がよどみなく書かれた小…

ここもそこも―高原英理『日々のきのこ』

「やあ、かぜよくて幸い」という挨拶に「これもそれも」と応える世界があった。なんでも森や山の中で出会う相手にはとにかく言葉をかけ合うのが決まりらしい。でも「綴じ者」はそうしたやりとりはしない。おっと、「綴じ者」という言い方は差別的で望ましく…

きみはいまだにそのことを知らないでいるし―岡田利規「ブロッコリー・レボリューション」

こんな私にだって経験がある、旅先で感じるあの解放感の正体は「当たり前」に絡めとられていない感触だ。うっかり旅先の土地を好きになってしまって、たとえば移住してしまったら、今度はそこの空気が「当たり前」になってしまって結局は絡めとられてしまう…

お節介な愛情のある風景―加藤多一『馬を洗って…』

今回はこの絵本について書きたい。 加藤多一・文、池田良二・版画『馬を洗って…』(童心社、1995年) 馬を洗って… (若い人の絵本) 作者:加藤 多一 童心社 Amazon 清冽な文と重厚な版画で描く〈若い人の絵本〉 遠いあの日、迫りくる戦争の影 馬を洗うたった一…

よみあとの余韻―黒田夏子『組曲 わすれこうじ』

ちかくのもの,手にとれるものでも遠まわりにかけばついやした言葉のぶんだけはるけくなるようで,そのものとの間にある時間もふかくなっていくような錯覚の連続に,ほとんど恍惚としながらよんだ. 黒田夏子『組曲 わすれこうじ』(新潮社,2020年) 組曲 …

「かれ」の視線―松浦寿輝『人外』

はじめ「境界」の物語かと思った。けれど読み進めていくうちにこれはもっと広い、生きることの物語ではないかと思うようになっていった。 2020年もいろいろな小説を、その世界にもぐるみたいに読んで通ってきたけれど、今回紹介するこの本ほど、「自分が存在…

空、だからこそー八木詠美「空芯手帳」

空の描写がところどころに印象的で、それは時間や季節のうつろいを描き、その空を読みながら私は一人の読者として「空人くん」を育んでしまったような(育む、は言い過ぎかもしれない、せいぜい成長を見守る?)不思議な読書体験をした。バレたらどうするのさ…

こーりゃ、どうしてってぐらい生い茂っとるたい―古川真人『背高泡立草』

あのひとたちがあんまりよく喋るもんだから……と、草茫々の納屋の前に立って溜息のひとつでもついてみることを想像する。それで、この溜息の意味はなんだろう?うんざりなのか、次々と移り変わる話題の広さや語られる過去の深さへの期待なのか、それとも埋も…

〈時〉を取り戻す力―栗林佐知『仙童たち 天狗さらいとその予後について』

「天狗とは、いったい何なのか」 このたったひとつの問いに真摯に向かいつづけた薄木市立郷土資料館学芸員(一年契約)のクジラガワ・カンナさん。この人の研究をなんてすばらしいんだと思った。研究題目は「多摩西南地域の天狗道祖神――庶民信仰をめぐる一考…

重要な曖昧さ――滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』

あとがきまで読み終えたあとで本の表紙に戻り、そこに描かれた人物の膝の上で握りしめられた手をみる。みてしまう、どうしても気になってしまう。その意味が、この本を実際に手にとって最後まで読んだひとにはきっとわかると思う。 今回は、滝口悠生『やがて…

――引用、乗代雄介「最高の任務」

過去の回想のようであって、単なる過去の回想を超えた、そこに「書く」という営みへの信頼と力強い肯定を感じた作品――乗代雄介「最高の任務」の感想を書きたいと思う。日記という体裁をとった作品で、実は私も小六の頃から日記を書きつづけているせいか、そ…

転回―大前粟生『回転草』

大前粟生『回転草』を読んだ。 既存の思考の枠組みをいい意味で取り払ってくれる、かなりはちゃめちゃな一冊である。まず設定がはちゃめちゃであり、何故そうであるのか一切説明されないままに、たとえば語り手が西部劇の乾いた風に転がる草だったり、ミカが…

声の波間を―古川真人「ラッコの家」

今と昔が重なり合う瞬間というのがあるとすれば、それは生きていることの、生きてきたことの、生きていくことの肯定であると思う。 タツコは「声」によって描き出された空間の中にぽっかりと浮かび、踏み外して落ちた海にぽっかりと浮かぶ子供時代の自分を見…

琵琶の花、咲かせる。語りの鎮魂―古川日出男訳『平家物語』

今更、なんて言わないでもらいたい。 2018年の私の読書は『平家物語』で幕を開けた。2016年の十二月に、新しい現代語訳が出ていたのである。 古川日出男 現代語訳『平家物語』池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09 / 河出書房新社、2016年 平家物語 (池澤夏樹=…

糸玉の中心、ほどけどもほどけども―谷崎由依『囚われの島』

私はこの作品をすぐれた幻想小説として読んだ。 谷崎由依『囚われの島』(河出書房新社、2017年) 初出『文藝』2016年冬号 囚われの島 作者: 谷崎由依 出版社/メーカー: 河出書房新社 発売日: 2017/06/12 メディア: 単行本 この商品を含むブログを見る ※当ブ…

ずらす、くずす、くずれた!?―大前粟生『のけものどもの』

自分が世界のあり様として確信しているものどもの多くが、いかに既存の言葉とそこに付着するイメージ、印象によって形作られているか……。知ってしまってショックを受けた。独創性とは一体なんなのか、それは可能なことなのか? そんなことを考えながらこの本…

ここに小説を「置く」と、新たな時空間が立ちあがる? あれ、ここどこだっけ?―福永信 編『小説の家』

この本は、2010年4月号~2014年8月号まで『美術手帖』誌上で連載された小説とアートワークのコラボレーション(企画・発案:福永信)をまとめたアンソロジーである。 福永信 編『小説の家』(新潮社、2016年) 小説の家 作者: 柴崎友香,岡田利規,山崎ナオコ…