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Danse Macabre!

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。

風景の生まれる瞬間―磯﨑憲一郎『肝心の子供/眼と太陽』

さて、どういうわけなのか、2月は磯﨑憲一郎強化月間(?)になっており、ブログの更新もこの著者の作品についてばかりになってしまっているのだが、今回も懲りずに書いてみようと思う笑。今回は、磯﨑憲一郎のデビュー作(文藝賞受賞作)である「肝心の子供…

キャプション以前の―磯﨑憲一郎『世紀の発見』

この小説は私にとって、どういうわけだかひどく思い出深いものなのだ。本当に大好きな本であるにも関わらず長い間所有することはなく、そうであるにも関わらず何故か何度も読み返しており、どこで読み返したのかと考えていると実にいろいろな町の図書館の閲…

パースペクティヴ――磯﨑憲一郎『往古来今』

今回ご紹介する本はこちら。 磯﨑憲一郎『往古来今』(文春文庫、2015年) 往古来今 (文春文庫 い 94-1) 作者: 磯?憲一郎 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 2015/10/09 メディア: 文庫 この商品を含むブログを見る この本をはじめて目にした時、なにかが違…

あこがれのまなざし、そのゆくえ―津島佑子『狩りの時代』

「差別ってよくない」「差別をやめよう」 なんていう言葉はもう何十年も(いや、もしかしたら自分の人生を超えているから実感が沸かないだけで実はもう何百年も)言われているのかもしれない。 しかし、何が差別で何が差別ではないのか? あまり考えられるこ…

ちいさな文芸誌たちのこと

最近、「ちいさな文芸誌」に注目している。 ここで「ちいさな」という言葉を使ったのは、単にいわゆる「五大文芸誌」と区別するためで否定的な意味はない。大手出版社が刊行しているのとは別の文芸誌、という程度の意味である。誌面はとても充実していて、作…

弔いのかたち―杉本裕孝「弔い」

人は二度死ぬ。一度目は生物として死んだ時、二度目は人に忘れ去られた時だ、なとどいうのは一体どこで聞いた言葉だったかあやふやだが、馴染のある感覚である。 杉本裕孝「弔い」という作品では、人は二度生きる。一度目は死ぬ前の生、つまりふつうに生きて…

読書はひとを連れてくる、そうしてひとを連れ去っていく―稲垣足穂について

今回は稲垣足穂(1900-1977)を紹介しようと思う。 稲垣足穂『現代詩文庫1037 稲垣足穂』(思潮社、1989年) 稲垣足穂『ちくま日本文学全集 稲垣足穂』(筑摩書房、1991年) 稲垣足穂 [ちくま日本文学016] 作者: 稲垣足穂 出版社/メーカー: 筑摩書房 発売日:…

幽玄の中へ認識を押し広げるという言葉の可能性―泉鏡花「高野聖」を読んで

(まあ、女がこんなお転婆をいたしまして、川へ落こちたらどうしましょう、川下へ流れ出でましたら、村里の者が何といって見ましょうね。) (白桃の花だと思います。)とふと心付いて何の気もなしにいうと、顔が合うた。 すると、さも嬉しそうに莞爾(にっ…

化かされて、愉快いな―泉鏡花「化鳥」

化ける、というのはどういうことなのだろうとふと考えた。辞書的な意味を引いておくと「本来の姿・形を変えて別のものになる」ということ。私達は「化ける」ことよりも、たぶん「化かされる」ことのほうが身近に感じられるのではないだろうか? 自分が化けて…