言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

ふたつの方向に引き裂かれながら―プルースト『失われた時を求めて』第三篇「ゲルマントの方」

日記によると、私がこの大著『失われた時を求めて』を読み始めたのは4月24日、振り向けば早くも二カ月の時が流れていたらしい。驚いた。はっとした。

 

そう、まさにこれ、この感じこそが『失われた時を求めて』の感触なのだと思う。

 

読みながら、読んでいる時そのものまでもが愛おしくなり、過ぎ去ってしまうことを惜しみたくなるような読書経験だ。

ひとつの作品にこれほど時間を割くのは久しぶりの経験でこの先どうなっていくのか楽しみなような、怖いような。時を失いながら、『失われた時を求めて』を読み、読みながら迷走する日常はもう少しだけ続くのだと思う。

今回は第三篇「ゲルマントの方」を読んだ感想を書いていきたい。

 

マルセル・プルースト著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて5 第三篇ゲルマントの方Ⅰ』(集英社、1998年)

失われた時を求めて6 第三篇ゲルマントの方Ⅱ』(集英社、1998年)

 

失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方 1 (集英社文庫)

失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方 1 (集英社文庫)

 

 

 

失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方 2 (集英社文庫)

失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方 2 (集英社文庫)

 

 

※当ブログで扱ったものは単行本(ハードカバーのほう)で文庫本ではありません。引用ページ番号などは単行本に依っています。

 

 

コンブレ―で過した幼少期の、ふたつの散歩道を覚えているだろうか。

すなわち、「スワン家の方」と「ゲルマントの方」である。

語り手「私」の前にはいつも決して交わることのないふたつのベクトルが用意されていて、それはこの散歩道であったり、その時々一回限りの「現在」を生きる中で思考を伸ばしていく「過去」や「未来」というものであったり、また第三篇になって色濃く現われはじめた「死」や「生」というものもまた、交わることのない反対方向を志向するラインであると思う。自分を起点にして別々の方向へ伸びるベクトルに沿って、ひとは思いを辿り、思考を流し、認識する世界を広げるのかもしれない。

 

話をもとに戻して、第三篇「ゲルマントの方」では、タイトルが示す通りゲルマント一族いう貴族の生活の方へと語り手は進んでいく。まず、語り手一家がゲルマントの館に付属するアパルトマンに引っ越したところからはじまり、オペラ座での観劇、ゲルマント公爵夫人への憧れなどが語られる。語り手「私」はゲルマント公爵夫人に紹介してもらおうと友人のサン=ルー(彼はゲルマント一族)を訪ねてドンシエールの駐屯地に出向いたり、そこで友人の愛人(この愛人、実はかつて語り手が20フランで買った売春婦だった汗)に会ったり、ヴィルパリジ夫人のサロンでゲルマント公爵夫人やシャルリュス男爵に出会ったり……と、ゲルマント一族を中心とした華やかな社交界の描写が続く。この時代の貴族やブルジョワのサロンで話題になっていた出来事にドレーフュス事件というものがあり、この事件で反逆罪の容疑をかけられたユダヤ人大尉アルフレッド・ドレーフュスが無罪か有罪か、すなわちドレーフュス派か反ドレーフュス派か、という立場の表明(または保留)がひとつのステータスを作り出している。このあたりの事情は、第一次世界大戦前のフランスを覆っていたユダヤ人を取り巻く空気をよく描き出しているようだ(断定できないのは、私に世界史の知識がないからだ)。フランス社交界に上手く溶け込むことができたユダヤ人としてスワンが描かれ、逆に溶け込めず滑稽さを際立たせてしまっている人物としてブロック(語り手の友人)が登場する。貴族たちのいつ終わるともしれない長い長い会話の中に含まれる微妙なニュアンスが理解できればよりこの本を楽しめるだろう。

私はこの貴族たちの会話を、いくつかの大きな塊をやり過ごすように読み流してしまったようなところがあって少しもったいなかったかもしれないと思う。けれどもそういう読み方をしてしまったがために、次のような一文に出会ってぞっとするのである。

 

 

会話にとりまかれているときには、過ぎゆく時間を測ることも見ることも、もうできなくなるもので、時は消え去ってしまう。そして俊敏な時、姿を隠していた時が不意にまたあらわれて、ふたたび私たちの注意を惹くのは、さっき私たちの手をすりぬけていった地点からはるか遠くに来てしまったからだ。

(前掲書『失われた時を求めて6』、78-79頁より引用)

 

 

この社交界の会話について書かれた部分ではないけれど、なるほど、と思えてしまう。

確かに喧噪の中にいれば時の立つのも忘れてしまうし、長い長い会話を延々と読んでいたら(ある意味脳内では話声に取り囲まれているのである)100頁くらい読み進めてしまっていたりするのだ。時と頁は消え去ってしまった。

 

第三篇の後半(6巻)の多くは煌びやかで賑やかな社交界の様子が描かれるがそんな中、語り手の祖母の死や余命数か月しかないのだと語るスワンの登場を見落とすことはできないだろう。そもそも語り手一家が引っ越したのは祖母の病気療養のためでもあり、そう考えるとはじめから「ゲルマントの方」には病や死の影が存在していたのかもしれない。

 

以下は少し長いのだが、ゲルマント公爵夫人に夢中だった語り手「私」がゲルマント家の一員である友人のサン=ルーを訪ねてドンシエールで過していた時の出来事だ。「私」と祖母は電話で話をしていたのだけれど、その電話はやがて切れてしまう。まるで祖母の死を予告するかのような描写に切ない気持ちになる。

 

「お祖母さん、お祖母さん」と私は叫んだ。できれば彼女にキスをしたい。でも私のそばにはこの声しかないのだ。たぶん祖母の死後に私を訪ねてやってくるあの亡霊と同じように、手にふれることもできない幻影の声だ。「さあ、なにか言っておくれ」だがそのときに、その声は急に聞こえなくなって、いっそう私をひとりぼっちにしてしまう。祖母にはもう、こちらの声が聞こえていないのだ。通話は切れてしまった。私たちはもう、互いに相手の声を聞きながら、向きあっている存在ではなくなった。それでも私は闇のなかを手探りで、祖母の名を呼びつづけ、私を呼ぶ祖母の声もきっとどこかにさ迷っているにちがいない、と感じた。かつて遠い昔に、幼い子供だった私は、ある日、群衆のなかで祖母とはぐれたことがあったが、そのときと同じ不安に私はゆり動かされた。祖母が見つからない不安というよりは、祖母の方でも私を探しているだろうし、私が彼女を探していると考えているだろう、と感じる不安である。

(前掲書『失われた時を求めて5』、229頁より引用)

 

けれど「死」などという、「暗い」ものは「ゲルマントの才気」(特にゲルマント公爵夫人ことオリヤーヌの才気)によって意図的に明るい色で塗り込められ隠されようとしているように感じた。語り手がゲルマント公爵邸を訪ねた時、夫妻はある夜会に、それから仮装パーティーに出掛けようと準備をしているところだった。そこで交わされた会話に耳を澄ませていると(実際には活字を目で追っていると)、どうやらゲルマント公爵(バザン)のいとこであるアマニヤン・オスモン侯爵が死の床についているらしいと知れる。けれども仮装パーティーに出掛けたいバザンは何としてでもこの夜出掛けるまでは、いとこの容体は問題ないと思いたいのだ。なぜならもしも今亡くなれば、パーティーのたのしみが台無しになってしまうし、喪に服するのであればパーティーの後にしたいとバザンは考えているのだ。オスモン侯爵の死に背を向けてまで、煌びやかな社交界のほうを向いていたいゲルマント公爵。さらに出掛ける間際になってそこへ来訪していたスワンがゲルマント公爵夫人(オリヤーヌ)に、自分の余命がせいぜい残り数か月しかないことを語る場面があるのだが、それを聞いたオリヤーヌもまた一瞬の戸惑いのあとで死に背を向けるのである。

 

「何をおっしゃいますの」と公爵夫人は、場所の方に向かってゆくその歩みを一瞬のあいだ止めると、青いメランコリックな美しい目、ただし途方にくれたその目を上げて叫んだ。晩餐会に行くために馬車に乗るべきか、それとも死んでいくひとりの男に同情を示すべきか、生まれてはじめてこのように異なる二つの義務の板ばさみになった彼女は、礼儀作法の掟を探っても、従うべき判例を示すものを何ひとつ見出すことができなかった。そして、どちらの義務を選んだらよいか分からなかった彼女は、さしあたって努力の必要の少ない第一の選択肢に従うために、第二の選択肢などあってはならないことであると信じている振りをすべきだと思い、この葛藤を解決する最良の手段は葛藤の存在を否定することだと考えた。「ご冗談でしょう?」と彼女はスワンに言った。

(前掲書『失われた時を求めて6』、507-508頁より引用)

 

 

こんなふうに、「ゲルマントの方」には煌びやかな生を謳歌する方向(社交界)とその逆の、苦痛に満ちた死へと向かう方向(祖母の死、スワンやオスモン侯爵の死の予告)という二つのベクトルが存在する。このブログ記事のはじめのほうで書いたけれど、語り手「私」の前にはいつも決して交わることのないふたつのベクトルが用意されていて、そのうちのひと組が「生」と「死」なのだ。いや、語り手にとってだけではないのかもしれない。存在している者はすべて、数多の出来事を経験する中で、このふたつの方向に引き裂かれそうになりながら「現在」という点に己の座(存在する場所)を作り出しているのかもしれない。そうしてつくり出される「時」はいつも一回限りの、失ってしまえば二度と取り戻すことのできない風景であるのかもしれない。

 

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朝、それから夏の光―プルースト『失われた時を求めて』第二篇「花咲く乙女たちのかげに」

ブログの記事を書くのにふりかえってみると一見停止したかのような語りの時間ではあるが、その思い出の中ではとてもたくさんのことが起っていたらしい、そのことに気がついて改めて驚いた。しかしそれらを書きつけていったところで結局のところ、その本を読んでいた時に私が抱いた印象の回想でしかなくなるのかもしれない。

 

今回はプルースト失われた時を求めて』の第二篇である「花咲く乙女たちのかげに」の感想を書いていきたい。使用したのは集英社から出ている以下の本であり、引用頁番号などもそれに従っている(現在は文庫版で入手可能です)。

 

マルセル・プルースト 著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて3 第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅠ』(集英社、1997年)

失われた時を求めて4 第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅡ』(集英社、1997年)

 

失われた時を求めて 3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 (集英社文庫)

失われた時を求めて 3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 (集英社文庫)

 

 

 

 

この長大な小説の第二篇「花咲く乙女たちのかげに」は第一部「スワン夫人をめぐって」と第二部「土地の名・土地」から成る。ここで語り手「私」はいくつもの重要な出会いを果たしている。概要(あらすじなど)めいたことはさらっと書いておく。

 

第一篇の終わりに描かれた語り手「私」とジルベルト(スワンとオデットの娘)の恋愛と別離、そして忘却(特に別離が決定的になるまでの苦悩の省察、時の経過と印象について)や元外交官であるノルポワ侯爵との出会い(この人物は「私」に文学の道を諦めないように言う一方でその「文学観」は「私」の抱いていたものとは大きく隔たり、「私」は心折られる)、スワン家でのベルゴット(「私」が憧れていた作家)との出会い、そして第二部ではそれまで何度も空想していた一時二十二分パリ発の汽車に乗って、祖母とバルベックという海辺の夏のリゾート地へ行ったことと、滞在中の出来事が語られる。滞在することになる海のグランドホテルの部屋のこと(その印象の変化)、ヴィルパリジ夫人との馬車での散歩、サン=ルーとの出会いと友情(リヴベルでの晩餐と飲み過ぎによる二日酔い……)、サン=ルーの叔父であるシャルリュス氏の印象的な視線、画家エルスチールとの出会いと彼の芸術観、海辺で見かけた「花咲く乙女たちの小集団」のこと、アルベルチーヌ・シモネとの出会いと彼女に拒絶されたこと……。

 

ふりかえればふりかえるほどに、そういえばこういうこともあった、ああいう風景を見た、と次々思い出していける気がする。そんな作中の時間と同時に一読者として読みながら過ごした時間も存在していて、そこからの印象も自分の作品理解を形成する少なくない要素になっているかもしれない。

 

 

たった一つの同じものが与える効果を常に違った時刻でとらえてくり返す手法

(4巻、205頁-206頁より引用)

 

 

訳注が付され、この手法は「印象派特有の手法」であるという。なるほど、この作品全体がそもそも印象派的だと言えそうだ。

バルベックへ向かう汽車の車窓から語り手「私」が見ていた日の出の風景を引用する。

 

 

やがてその色の背後に、光が貯えられ積み上げられた。色は生き生きとしはじめ、空は鮮やかなバラ色に染まり、私はガラスにはりつくようにして目をこらした。この空が、自然の深い存在と関係があるように感じたからだ。けれども線路の方向が変わったので、汽車は弧を描き、朝の光景にとって代わって窓枠のなかには、とある夜の村があらわれたが、そこでは家々の屋根が月光に青く映え、共同洗濯場は夜の乳白色の真珠の帳におおわれ、空にはまだびっしりと星がちりばめられているのだった。そしてバラ色の空の帯を見失ったのを私が悲しんでいたとき、ふたたびそれが、今度はすっかり赤くなって反対側の窓のなかに認められたが、それも線路の第二の曲がり角でまた窓から消えてしまった。だから私は、一方の窓から他方の窓へとたえずかけ寄りながら、真紅で移り気なわが美しき朝の空の間歇的で対立する断片を寄せ集め、描き直し、こうして全体の眺めと、連続した一枚の画布とを手に入れようとつとめるのであった。

(3巻、404頁より引用)

 

 

線路のくねくね具合(?)によって、語り手が見ていた窓に切り取られる風景が変わっていく。客観的にあるものはただこの地方一帯に訪れつつある朝だけであるが、その朝の風景は語り手によってとらえられるたびに違った印象を帯びる。そしてそれらの印象の断片を寄せ集めてひとつの眺めにしようとしたということは、記憶の断片を継ぎつつ膨らんでいく『失われた時を求めて』全体の手法と似ている。

 

また画家エルスチールの絵画の方法や技法的努力(「物の名前をとり去り、あるいは別の名前を与えることによって、これを再創造している」4巻253頁)と、プルーストの風景描写の仕方が重なっているように思える。「物の名前をとり去る」ということは、その物に名前とともに付されている知性の概念を剥奪することであり、こうして一旦「剥き身」になった物を、主観を通した「言葉」(エルスチールの場合「絵画」)でもって再創造すること。既成の見方で世界を捉えることを拒否しなければ、失われた時を新たに組み直すようなこんな作品は書けないだろう。

 

そもそも語り手がその「名」によって「バルベック」という土地に抱いていた印象は「嵐」であった(第一篇第三部「土地の名・名」参照)。ところが実際にバルベックに来てみると案外晴れていることも多く、散歩をしたり海を眺めたりと穏やかに滞在時間は経過していく。バルベックという名の持つイメージが崩壊してはじめて、語り手は自分でバルベックを見はじめる。花咲く乙女たちの小集団に対する語り手の印象の変化と、刻一刻と様相を変えるバルベックの海の波、会うたびに別人に思えるアルベルチーヌという女のとらえがたさが繰り返し書かれることで印象派的な手法が強調される。「名」の中に固定化されたものと、その「名」を剥奪されたものの印象がモチーフを変え、繰り返し繰り返し描かれる。ここにはプルーストの人間観「人は一定不変の連続した存在ではなく、たえず前の自分が死んで、異なった自分に生まれ変わると考える」(第二巻、訳注)も関わってくる。語り手が見ている人物たちも、その時その場に居合わせた語り手も、またそんなことを思い出している語り手も一瞬一瞬異なった存在なのかもしれない。

 

無意識のうちに表情を変える思い出の中では、出会ったはずの人々の顔さえ違って見えるし、思い出している「現在」の語り手の感情がフィードバックされるせいで出来事ひとつひとつの意味合いも変わっていく。たとえば語り手に尊敬されることになるエルスチールという画家は、実は第一巻のヴェルデュラン夫人のサロンにつまらない人物として登場していた。同じくシャルリュスも第一巻の時点ですでに語り手のほうをじっと見ていたのだが、ここまで小説を読み進め、語り手の思い出の時間が流れてからもう一度振り返ってみると、読者は第一巻で語られた出来事をまた違った側面で眺め直すことになりはしないだろうか。出来事ひとつに意味ひとつ、というほど簡単にはできていない世界のこのとらえがたさは魅力的でもありまた恐ろしさでもある。ちょっと前まで自分がこの作品中に見出していた「法則」が合わなくなってしまうような一語、一文に今出くわしたのではないか? と何度もふりかえりながら不安になる。

 

とはいえ、やはりこの作品は読んでいる間にこそ生きられる時というものの存在を感じさせる。それは甦る語り手の時間であったり、文字を追いながら時間を失っていく読者としての時間であったりもする。多くの人が様々な思いでこの本に向うからこそ、こんなに長いにも関わらず、21世紀のこんな所にまで読み継がれているのだろうと思う。

 

最後に、第二篇「花咲く乙女たちのかげに」のラストを引用する。この部分から私は「夏の光」の深み(時間的厚み)を感じずにはいられない。バルベックのホテルの部屋で、またコンブレ―やパリで語り手が過ごした部屋で迎えたいくつもの「朝」が、幾筋も重なり合って記憶を照らしているような気がする……というのは単なる深読みなのだけれども。

 

 

そしてフランソワーズが明りとりのピンをはずし、布を取り、カーテンを開けると、彼女の手であばかれた夏の光は、幾千年を経た豪奢なミイラさながらに死んだ太古の光のように見え、私たちの老女中は、ただ注意深くそのミイラを包む布をはぎとって、金の衣のなかで香り高らかに保存されていたその姿をあらわにしているように思われた。

(第四巻、456頁より引用)

 

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時を失いながら――マルセル・プルースト『失われた時を求めて』

プルーストを読む」ということについて、考えずにはいられない。

この大長篇小説を読んだ記憶は細断されて断片になった形で、いつか自分の人生の別の瞬間に、たとえば紅茶を飲んでいる時や(私は甘いものを好んで食べないからわからないが)マドレーヌを食べた時なんかに立ち現われるのかもしれない。今なら読めるかもしれない、と直感してふいに手に取った本を、毎日少しずつ丁寧に、生きるように読む。

今回はマルセル・プルースト失われた時を求めて』の第一篇「スワン家の方へ」の感想を書いていく。なおこの作品については複数の翻訳が刊行されているが今回は私が手に取ったのは鈴木道彦訳の集英社版(それも文庫ではなく、図書館で借りた立派な造本のもの!)であり、ページ番号などはそれに従っていることを予めお断りしておく。

 

マルセル・プルースト 著、鈴木道彦 訳

失われた時を求めて 1 第一篇スワン家の方へⅠ』(集英社、1996年)、

失われた時を求めて 2 第一篇スワン家の方へⅡ』(集英社、1997年)

 

失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へ 1 (集英社文庫)

失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へ 1 (集英社文庫)

 

 

 

失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へ 2 (集英社文庫)

失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へ 2 (集英社文庫)

 

 

概略めいたものは簡単に済ませたい。著者のプルースト(1871-1922)はフランスの小説家。代表作『失われた時を求めて』は1913年から1927年までの間に全七篇が刊行(第五篇以降は作者の死後に刊行された)。後の多くの作家に今なお影響を与え続けている20世紀を代表する著作である。

 

第一篇「スワン家の方へ」(集英社版の1巻・2巻)は全部で三部作になっている。

語り手「私」が復活祭前後にコンブレ―という土地で過した幼少期の記憶、断片的で漠然としたものがある日、紅茶に浸したマドレーヌを食べた時に一気に具体的に蘇ってきたいわゆる「マドレーヌ経験」を経て、さらに思い出された幼少期の思い出を取り扱った「第一部 コンブレー」。 語り手「私」の家にかつて訪れていた男シャルル・スワンと、その妻であるオデット・ド・クレシーの恋愛と幻滅の日々を扱った「第二部 スワンの恋」(この部分だけ語り手「私」が人からの伝聞をもとに語るという形式をとっており、ほぼ三人称形式の小説のように読める)。それから、土地の名前から「私」が連想する土地のイメージや、ある年シャンゼリゼで出会ったジルベルト・スワン(シャルルとオデットの娘)への初恋を扱った「第三部 土地の名・名」から成る。

 

集英社版のこの本には「月報プルーストの手帖」と題された小冊子の付録がついており、その1冊目にはなんとル・クレジオの文章(浅野素女 訳「鍵となる言葉」)が掲載されていた。フランス人であるル・クレジオさえ『失われた時を求めて』という作品を読む事に難渋していた時期があったらしい。けれどもある時「ただ言葉の流れに身を任せてゆけばよかった」ということに気がついたそうだ。アンリ・ミショーの詩を旅するように読みたいと書いたル・クレジオらしい捉え方だと思う。彼は『失われた時を求めて』から以下の文章を引用している。

 

眠っている人間は自分のまわりに、時間の糸、歳月とさまざまな世界の秩序を、ぐるりとまきつけている。目ざめると、人は本能的にそれに問いかけて、自分の占めている地上の場所、目ざめまでに流れた時間を、たちまちそこに読みとるものだが、しかし糸や秩序はときには順番が混乱し、ぷつんと切れることもある。

(『失われた時を求めて』第一篇「スワン家の方へ」より引用)

 

半分眠っているような時、自分が今どこにいるのかわからなくなる。

こういう時は、何がどこに置いてあったのか、部屋のアウトラインすらわからなくなっているものだが、昔の記憶だけはとめどなくあふれてくる。この記憶の甦りと空間の再構成が小説世界そのものを静かに立ち上げていく。はじめ語り手「私」は幼少期にコンブレ―で母親からのおやすみのキスを待っているのにスワン氏の来訪によって望みが叶えられなかったという孤独な夜を思い出している。けれどもこれはあくまで「意識的記憶」に属するものである。

ある日、小説の語り手「私」は(この作品の語り手が存在すると思われる現在に近い時のどこかで)紅茶とマドレーヌをきっかけに、すっかり忘れていたと思っていた過去をありありと思い出す、という経験をする。これが「無意識的記憶」と呼ばれるもので、失われたはずの日々を再現していこうとするのがこの作品なのだと思う(小説である以上、語り手=プルーストとは言えないが、時々プルーストの経験や物の見方、考え方が現われてもいる)。無意識的記憶が蘇った様子がそれまで「狭い階段で結ばれた二つの階」でしかなかったコンブレ―が、レオニ叔母の家の構造、それから鐘塔を中心にしたコンブレ―という名の町の全体、二つの散歩道(スワン家の方、ゲルマント家の方)と広がって行くようで愉しい。第一部の終わりは部屋に射し込む朝の光によって、あやふやになっていた部屋のアウトラインがくっきりとし、元に戻るという記憶の旅から日常への回帰である。

 

私たちがかつて知った場所、それを私たちは便宜的に空間世界に位置づけているが、そのような場所は、実は空間世界に属してはいないのである。それらの場所は、当時の私たちの生命を形作るたがいに隣りあった印象のなかの、薄い一片にすぎなかった。あるイメージの追憶とは、ある瞬間を惜しむ心にすぎない。そして家や、道や、通りは、逃れて消えてしまうのだ。ああ! ちょうど歳月のように。

(『失われた時を求めて』「第一篇スワン家の方へ」より引用、集英社版2巻432頁)

 

 

私はこの本を読む時に、一思いに100頁とか、150頁とか読み進めたくなってしまう。それはたぶん作品の時間の流れが「言葉」そのものだからで、読んでいる時間ごと寸断してしまいたくないからだろう。極めて主観的な文章(語り手「私」の回想の形式をとる)であるが故に全てが「特殊」な一度限りの風景になる。その移ろっていくイメージを惜しむ心のあり様が大変尊いもののように思え、この本を読む事に贅沢な時間を感じたのだ。

 

第二部「スワンの恋」だけは語り手「私」が伝聞をもとにして、シャルル・スワンとオデット・ド・クレシーの恋愛を語るほぼ三人称小説のように読める。この語りのブレを当初好意的に捉えることができなかったが、思い返してみれば(本を読んでいた時のことをまた思い返してみるんだって! 一体同じ時を、まるで違う時のように何度生きればよいのだろうか)シャルル・スワンという男が作中最も自由に社会階層(ブルジョワ、貴族の社交界など)を縦断しており(ちなみに語り手「私」のいたコンブレ―の家の夕食にも招かれていた)作中に描き得る社会的空間を広げている存在と言えそうだ。

 

第三部「土地の名・名」は名前が連想させるイメージの広がりからそこへ行くという空想の時が広がって行くようで愉しい。「私」の恋の始まりも「ジルベルト」という名の響き、そしてそこからの印象であった(そしてそういう印象と、現実は実際には大きくずれており、しばしば「私」を幻滅させることになる)。

 

その明くる日になったら、すぐにも一時二十二分発の、美しい素敵な汽車に乗りたいと私は考えた。私は、鉄道会社の広告や周遊旅行の案内などでこの汽車の出発時刻を読むとき、胸をときめかせずにはいられなかった。その時刻は、午後のある明確な一点に、一つの楽しい切れ目、一つの神秘的な印を、つけているように思われた――その一点から時間は軌道をはずれ、なるほど依然として夜に、また翌朝にと人を導いてはゆくけれど、しかしそれはもうパリの夜や朝ではなくて、汽車が通る町々のなかで、汽車のおかげで私たちの選べる、とある町の夜であり、また翌朝なのであった。

(『失われた時を求めて』第一篇「スワン家の方へ」第三部土地の名・名、集英社版2巻361頁より引用)

 

私にとってはこの広がりがとても魅力的な作品なのだ。

プルーストの人間理解の仕方(「人は一定不変の連続した存在ではなく、たえず目の自分が死んで異なった自分に生まれ変わる」(訳注)という考え方。)は「私」というものを確固とした実体と捉えるヨーロッパ近代と対立するものだ。そしてもし、プルーストの考えるように世界を捉えるなら、私は部屋にいたままにして、何度も何度も現在時を失いながら、失われた時を生き直すことができるのかもしれない。この感覚はとにもかくにも『失われた時を求めて』を実際に読む時間というものを経験しないと得られない。そして何度も何度もそういう時間を生きていたくて、繰り返し読み返す本になってゆくのかもしれない、時を失いながら――。

 

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琵琶の花、咲かせる。語りの鎮魂―古川日出男訳『平家物語』

今更、なんて言わないでもらいたい。

2018年の私の読書は『平家物語』で幕を開けた。2016年の十二月に、新しい現代語訳が出ていたのである。

 

古川日出男 現代語訳『平家物語池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09 / 河出書房新社、2016年

 

 

平家物語』というと、「祇園精舎の鐘声~」で始まる栄枯盛衰のフレーズを子供の頃に暗記させられたというひとも多いのではないだろうか? 私もそうだった。それから学生の頃に文庫で出ていた古典バージョンを読んで、好きな作品になっていた。だから「現代語訳なんて!」と思っていた。

だけれど。

この現代語訳はとても面白かった。今更、なんて言わないでもらいたい。そもそも13世紀頃(諸説あり)に成立したと考えられているこの物語、かれこれ700年以上、人間の声、声、声、によって語り伝えられてきたのである。それから、撥、琵琶。

 

撥は鳴らしておりますぞ。琵琶を。一面の琵琶のその絃を。しかし、ああしかし。

平家の陣地からはなんの音もしないのです。

人をやって調べさせますと、なんと、「みんな逃げてしまっております」と申すではありませんか。

(前掲書「五の巻」343頁より引用)

 

訳者は語る。「私は、平家が語り物だったという一点に賭けた。」(前掲書、前語り)『平家物語』の現代語訳に取り掛かってたしかに、このテキストが複数の人々の手によるものだ、「今、違う人間が加筆した」とふいに書き手が交代したことがはっきりと感知されたのだという。文章に真摯に向き合っていればおのずと見えてくる、あるいは聞こえてくる語りの呼吸とでもいうものだろうか。その息遣いを新しい「聴衆」とも言える現代の読者に伝えるため、訳者は大胆な加筆をほどこした。様々な資料やうわさ話、思い出話を継ぎ合わせる形で作られたと考えられている『平家物語』に、現代の文学作品の水準にひけをとらない「構成」を与えたのだという。つまり、琵琶の音、琵琶法師の語りを。

 

一つ鳴れ。鳴らせ。よ!

また一つ鳴れ。二つめの撥、鳴らせ。た!

いま一つ鳴れ。三つ目の撥、鳴らせ。は!

それから控えよ。この三面、撥三つ。琵琶と琵琶と琵琶、三分の天下の寿永の三年。いよいよ戦さにつぐ戦さに次ぐ戦さの年は来る。合戦の年は、来る。いや、もう来た。しかしまずは静けさがある。寂しさがある。そこからだ。

寿永三年正月一日。

(前掲書「九の巻」冒頭、529頁より引用)

 

古川訳のあちらこちらの見られる「琵琶」への言及は古典版には存在しない。「語り」を重視した現代語訳のために訳者によって付け加えられたものである。この付け足しと古典にもともとあった部分が切れ目なく連なり、しかも古典を読む時にありがちな註釈の類が一切ないため、この本を紐解く者は寸断されることなく「語り」に耳を傾けることができるのだ。まずはこのことに驚きながら読み始め、気がつけばのめり込むように読んでいた。上質なエンターテイメントである。頭の中で声が響き続けた。

さらに言えば、琵琶法師が聴衆に向かってかつて語って聞かせた『平家物語』の言葉は、もともと身分や男女など関係なしに世の中のあれこれに対して(たとえば合戦の武勇譚、または哀れ)溢れ出した不特定多数の人々の言葉であった。池澤夏樹は解説で「昔々の歴史は人の行いを記すものだった。」(895頁)と書いているが、まさにそう思えるような、人の肖像が(しかも「物語」の同情人物ですらない人の肖像までもが)浮かび上がってくる素晴らしい現代語訳なのである。

 

そう、この悲しみを語るにはそれに相応しい声があります。私のこの声ではございません。よって、私の声はここにて消えましょう。懇ろに懇ろにと努めます古式ゆかしくもあったこの声は。しかし、まだまだ、大地震とともにいずこかより決壊してあふれた無数の、無数の、声々。零れ出た声、声、声。そして音も。そして歌も。たとえば女の哭(おら)び、音。たとえば女の歎き、

歌。

撥。

琵琶。

鳴れ――。

(前掲書「十二の巻」816頁-817頁より引用)

 

ふいに遭遇する語り手の交代、それに物語の背後に息づく無数の存在への暗示。

この十二の巻は平家が亡んだ年に発生した大地震についての語りから始まる。日本の古典文学を読んでいてよく見かけるのが「怨霊」「祟り」の存在である。その繁栄ぶりが怪物めいてさえいた平家が亡んだ、その後で起きた大地震を当時の人々は平家の祟りだと思ったかもしれない。『平家物語』作中にも、そういう挿話がいくつかある。不遇のうちに死んだ人の怨霊が現世に影響を与える、それはとても恐ろしい。だから祟りを鎮めなければならないと、死者を慰めなければならないと人々は思う。源平合戦でもたくさんの人が死んだだろう、その後の大地震でもたくさんの人が死んだだろう。するとたくさんの亡霊が現われる、現われて、物語りしてもおかしくはない。亡霊のように、様々なひとが語り手として立ち現われても不思議ではない。亡霊は語ることで慰められるかもしれない、聞くこともまた鎮魂になるのかもしれない。琵琶の音に乗って響いた琵琶法師の声、それを借りて語られた物語。それは魂を鎮める、鎮魂の役割を担っていたのかもしれないと思った。琵琶の花咲かせる(琵琶を鳴り響かせる)というのは、語りの鎮魂なのだ。

 

一つの夢がある。琵琶が咲いている。あちらにも、こちらにも咲いている。何面の琵琶があるのか。それらはあたかも極楽浄土に蓮華が咲くように咲く。時にはぽんと鳴って蕾を開く。ぽんと。ぽんと。それから張りつめた絃が、びんと。びいんと。咲いている。蓮華は浄土に咲き、しかし、罪に穢れたこの娑婆世界にもある。この穢土にも。すると琵琶は、当然ながら江戸にもある。あちらにも、こちらにも、あって、いずれ咲く。いずれであるのならば今ではない。すると夢は覚める。

覚めれば寿永三年。

(前掲書「十の巻」619頁より引用)

 

幻想的だ。琵琶が咲く、という夢のような表現から思わず、琵琶に似た形をした甘い実をつけるという枇杷を想像せずにはいられない。これは一読者の勝手な想像でしかないけれど、こういう連想がまた「語り」に甘い香りさえ添える。

紙ヒコーキは投げ放たれた―チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』

最近、私のまわりでふつふつと、韓国文学が話題になり始めている。好きな小説家のひとりである小山田浩子さんの『穴』が昨年9月に韓成禮(ハン・ソンレ)さんの翻訳によって韓国で出版されたり、注目していた「小さな文芸誌」である『吟醸掌篇』vol.2の読書人コラムに「どこどこ文学/朝鮮・韓国文学篇」が掲載されたりと「韓国文学」を意識する機会が多くなっていた。地理的にはこんなにも近いのに、何故かラテンアメリカ文学よりも馴染みのない韓国文学に足を踏み入れる準備が2017年一年を通してゆっくりと進んでいたらしい。韓国の文化や政治状況、歴史など予備知識がほとんどないままに、私は今回ご紹介するこの本を手にとった。

 

チョ・セヒ 著、斎藤真理子 訳『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社、2016年)

 

こびとが打ち上げた小さなボール

こびとが打ち上げた小さなボール

 

 

※この作品は『吟醸掌篇』vol.2で、『韓国文学を楽しむ会』運営のともよんださんによっても紹介されています。

 

1978年に韓国で出版されるやいなや大きな反響を呼び、純文学としては異例のベストセラーとなった。「現実参与と純粋文学の双方を見事に結実」させたこの作品は、十二年も途絶えていた文学賞「東仁(トンイン)文学賞」の久々の受賞作にもなったという(以上、訳者あとがきより)

 

「撤去民の問題や労働運動という深刻なテーマを正面から扱い、しかもそれを幻想をまじえた独特の物語世界に仕上げたこと。貧民層・中間層・富裕層それぞれの声が連なるポリフォニックな構成。そして書類やアンケート調査の結果を挿入したノンフィクション風の手法など、すべてが斬新だった。」

(前掲書、訳者あとがき350頁より引用)

 

12篇からなる連作短篇集で、読み始めた当初「連作」であることに気がつかなかったのだが、読み進めるうちにそれぞれの作品が語りの視点を変えつつゆるやかに繋がっていることに気がつき、読み通して振り返ってみると1冊の本になっていることの尊さに思い至った。物語は1970年代の韓国を舞台にした貧しい「こびと」の一家を巡る受難と、それを取り巻く富裕層、中間層の生活の描写によって成り立っている。しかしそれだけにとどまらずこの作品には幻想的とも言える描写がいくつも登場する。理想を重ねられた「月の世界」、五十億光年という時間と永遠と死についての、登場人物の思考のつらなり。

 

死について考えるとき、いつも思い浮かぶひとつの情景がある。それは砂漠に続く地平線だ。日暮れどき、砂まじりの風が吹いている。一本の線になった地平のはてに私が裸で立っている。足を少し開き、腕を胸に引き寄せて。半分うつむいているので、髪の毛が胸を覆う。目を閉じて十数えると、私の姿は消えて、ない。灰色の地平線だけが残り、そこに風が吹いている。これが私の考える死だ。こういう死が永遠と関係のないわけがない。

(前掲書126-127頁より引用)

 

長くなりすぎるので引用することはできないが、エピローグのひとつ手前の章「トゲウオが僕の網にやってくる」で富裕層の青年が見た「オオトゲウオの悪夢」というのが描かれる。そこからの目覚めと美しい夕焼け、死んだ祖父の老いぼれ犬、使用人の女の子の所作から思い出されるこびとの妻の仕草……おそらく夢の中で青年を脅かす「やせおとろえ、骨と棘ばかりの体に二つの目と胸びれだけがついたオオトゲウオの群れ」は、「こびと」の一家に代表される下層労働者たちの姿の変形だろうと思うが、そこから覚めてから夕焼けや光の微粒子という美しい光景を経て「死んだ祖父の老いぼれ犬」「こびとの妻の仕草」とイメージが回帰する。この描写の流れが複数の社会階層や様々な状況(経済的困難、精神的困難)を横断的に表現しているのではないだろうか。

 

一読目は暴力描写の強烈さばかりが目についてしまっていたが、冷静に再読してみると、現在時にいきなり割り込んでくる断片的過去と現在の結節がとても良いことに気がつく。終始「どちらに属しているのか?」「正しいのはどちらか?」という疑問を喚起させつつ、結局のところ作品一冊丸ごと「メビウスの帯(輪)」になっていることに驚く。どちらとも言えない、きっかり分けることのできない混沌とした70年代韓国の、矛盾を含んだ社会が描かれている。「メビウスの帯」「クラインのびん」、どちらも内側と外側が判然としないものであり、理論としては「ある」(考えられる)が、現実の存在としては「ない」(捕えがたい)ものということができないだろうか? その点で「僕」が夢見た愛による理想社会もメビウスの帯やクラインのびんに重なりあう。愛による理想社会の実現をときながらも「父さん」が「こびと」だと嘲笑されれば相手に対して「憎悪」を抱く。

 

「こびとだ」とみんなが言った。父さんが車道を渡るとき、車の中の人たちはわざとクラクションを鳴らした。彼らは父さんを見て笑った。ヨンホは、地雷を作って彼らが通る道の地下に埋めてやると言っていた。「大きい兄ちゃん」ヨンヒが言った。「お父ちゃんをこびとなんて言った悪者は、殺してしまえばいいのよ」。心に秘めた大きな憎悪のために、薄い唇が震えていた。ヨンホが埋めた地雷が爆発する音を、僕はよく夢の中で聞いたものだ。彼らの乗用車は炎に包まれ、その中で彼らが泣き叫んだ。

(前掲書225頁より引用)

 

 ※実は本文中、この部分は一文字分下がった過去の回想パート。このすぐ後にアルミニウム電極製造工場の熱処理タンクの爆発事故が語られる。「夢で聞いたのと同じ泣き声を僕はウンガンに来て聞いた」。過去からの印象、「爆発」や「炎」による暴力のイメージが語りの現在時に引き継がれている。

 

理想としてはいくらでも語れる「愛の聖人」なんか、実際にはいないのだ。同様に、冒頭で教師が生徒たちに向かって話す煙突掃除のエピソードも思い出される。二人が同じ煙突を掃除したのに、ひとりの顔が汚れていてもうひとりの顔が汚れていないということは「ありえない」というあのエピソードだ。

 

「生理的リズムの攪乱」という暴力による人間疎外が鋭く描かれている。

 

シネは、人工照明に照らされた養鶏場の鶏たちのことを考えた。卵の生産量を増やすために飼育者が養鶏場に人工照明装置をとりつけている写真を、どこかで見たことがある。養鶏場の鶏たちが味わうおぞましい試練を、こびとも私も一緒に味わっている。鶏と違うのは、卵を産まない私たちは、生理的リズムを攪乱されてどこまで適応できるか、どの程度で病気になるかという実験に使われている点だけだ。

(前掲書、51頁より引用)

 

この本の別の個所で、深夜も働かされる工場労働者の姿が描かれており、その労働者たちは睡魔に負けそうになると現場監督者にピンで刺される。煌々と明かりの灯った深夜の工場と養鶏場は重ねられ「生理的リズムの攪乱」による暴力を描いている。このあたりはすぐに気がつくのだが、さらに攪乱の暴力を挙げることができる。

 

向かいと裏の家のテレビは夜がふけたことも知らないようだった。

(前掲書、53頁より引用)

 

これは中産階級の生活圏を描いた部分だ。一見すると技術の発展や生活の向上を象徴するように思われる「テレビ」であるが、「生理的リズムの攪乱」という点では一種の暴力装置と言えそうである。「夜がふけたことも知らない」のだから。こういう暴力による人間疎外のイメージが深く印象に残る作品だった。同時に様々な階層の人々を描いているのだが、どの階層であれ「家族」という呪縛を抱えているのではないかとも思う。「養う」「養われる」という、深く考えなければどこにでもある生活の現象が時に暴力装置として機能することもありうるのだ。貧困や自らの思想による苦しみからの脱却はできるのだろうか。もしも世界が「メビウスの帯」であるならば、だれひとり、どこにも行けないことになるのだが。

 

僕は土手に行って、まっすぐに空を見上げた。れんが工場の高い煙突が目の前に迫ってくる。そのいちばんてっぺんに、父さんが立っていた。父さんのほんの一歩ぐらい先のところに月が浮かんでいる。父さんは避雷針をつかむと足を一歩踏み出し、その姿勢で、紙ヒコーキを投げ放った。

(前掲書、102-103頁より引用)

 

 

吟醸掌篇 vol.2

吟醸掌篇 vol.2

  • 作者: 栗林佐知大原鮎美志賀泉なかちきか坂野五百久栖博季,空知たゆたさ愚銀ともよんだ踏江川盾雄高坂元顕,栗林佐知,山?まどか木村千穂たらこパンダ坂本ラドンセンター,こざさりみ耳湯 PLUMP PLUM
  • 出版社/メーカー: けいこう舎
  • 発売日: 2017/08/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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穴 (新潮文庫)

穴 (新潮文庫)

 

 ↑

この作品が韓国で翻訳されたらしい。どんなふうに読まれているのだろう?

日韓の文学交流は今後知りたいところではある。

 

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今、この手触りからふいに―ポール・オースター『内面からの報告書』

今回紹介する一冊、ポール・オースター『内面からの報告書』は『冬の日誌』に引き続き、私にとって二冊目のポール・オースター作品となった。

妙なこともあるもので、年齢も国も違うポール・オースターという大作家と自分が似たような記憶を共有していることを知る。幼少期に抱いた強烈な印象というものは、必ずしもいつも有効な記憶ではないけれど、時々意外なところで意外な物事と結びつき、ぱっと浮かび上がってくるらしい。……ピーターラビットのおとうさんが、肉のパイにされてしまった!!幼少期のそんな読書体験を、皿やカップに描かれたピーターラビットの絵を見て反芻した日々。その日々をさらにこの本を読むことで反芻することになるとは。

 

ポール・オースター 著、柴田元幸 訳『内面からの報告書』(新潮社、2017年)

 

内面からの報告書

内面からの報告書

 

 

 

「内面からの報告書」「脳天に二発」「タイムカプセル」「アルバム」という4つのパートあらなる一冊で著者のポール・オースターがかつて経験した色々なことを思い出したり感じ直したりするノンフィクション作品だ。

 

……大きな世界の中の小さな世界。でも大きな世界はまだ見えていなかったから、小さな世界はそのころ君にとって全世界だった。

(前掲書、10頁より引用)

 

子供の頃、自分の回りには「謎」ばかりがあった(その謎の多くは大人になってもそのまま残されていたりするけれど)。それなのにどうして今現在「大人」であるつもりの自分ほど不安を感じてはいなかったのだろう。それは世界に対して納得していたからではないだろうか。子供には子供なりのロジックがあった。子供時代とはその範囲の中だけで生きれば良かった時代(とは言ってもその範囲内が常に安全だとは限らない)なのだと思う。

そういう感覚を、大人になってからもう一度探って行くのは楽しそうだ。この本は著者にとってそういう一冊なのだろう。訳者はあとがきで「内面に――内面と呼ぶに相応しいものが誕生する以前までさかのぼって――何が起きていたかを思い出し、生きなおそうとしている」と書いていた。

 

「脳天に二発」は著者が子供の頃に見て印象に残った映画2本(『縮みゆく人間』『仮面の米国』)について書かれている。その映画について今どう思っているか、ではなくて「あの頃どう思ったか?」を映画のあらすじと書きながら探っていく手つきが本当に面白い。「タイムカプセル」という章ではかつての妻に書き送った手紙を抜粋しつつ若い頃の自身へと手を伸ばそうとしている。最後の「アルバム」という章はそれ以前の本文の抜粋に写真をつけたもので、ここまで読み通してきてからページを捲っていくとまさに「アルバム」を見返すような楽しさを味わうことができた。

「内面からの報告書」は12歳までの記憶、その頃の自分は何者だったのか? どうして今の自分のように考える自分になっていったのか、その考えは自分をどんな場所へ連れて行ったのかが印象に残っているエピソードをもとに掘り下げられていく。たとえば六歳のある土曜の朝、突然「君」(本書の中で作者はかつての自分をこう呼ぶ)をおそった説明不能な「幸福感」。「人種」という問題にぶつかる以前に感じていた貧富の差について「君」はこう思っていた、「人生はある人間に対しては優しくある人間に対しては残酷だった。君の心はそれゆえに痛んだ。」(9頁)。社会や政治を語る必要などないほど世界を単純にとらえていた「君」の心は、それでもすでに様々な不条理にあふれていた。貧しい黒人たち、朝鮮半島で起きた戦争に行った人々の「黒ずんだ、切断された足指」。人々が当たり前のものとして何も感じなくなってしまっているもの、または見たくないために黙殺しているものに「君」の心はストレートに動いた。「同じ現実に対する二つの相容れぬイメージ」(54頁)のどちらが「正しい」などと判断することなしに、併存させることができた素朴さ。大人が怖いというものが必ずしも怖いものではなく、良いというものが必ずしも良いと思えるようなものではなかったという感覚。二項対立とも違う、対立以前の奇妙に混淆した感情は私にも経験があるように思える。

 

子供の頃の私にとって「外国」とはアメリカとソ連のことだった。外国イコール、で対立するふたつの国家を結びつけ想像することができてしまっていた(あの頃世界は日本とアメリカとソ連しかなかった。なんて小さな世界だろうと思う)。

こんな私のつまらない感慨はさておき、子供だった「君」にとってとてつもなく繊細な問題だった数々の事柄(たとえば寝小便のことと、ピーターラビットのことと、死ぬということや、ユダヤ人であることと帰属意識の問題など)が書かれた一冊だった。

 

君のもっとも初期の思考。小さな男の子として、どのように自分の中に棲んだか、その残滓。思い出せるのはその一部でしかない。孤立した断片、つかのまの認識の閃きが、ランダムに、予期せず湧き上がってくる――大人の日々のいま、ここにある何かの匂い、何かに触った感触、光が何かに降り注ぐさまに刺激されて。少なくとも自分では思い出せるつもり、覚えている気でいるが、もしかしたら全然、思い出しているのではないかもしれない。もしかしたら、いまやほとんど失われた遠い時間に自分が考えたとおもうことをあとになって思い出したのを思い出しているだけかもしれない。

(前掲書、7頁-8頁より引用)

 

ここ数年、「大人の童話」という言葉をよく耳にするようになった。しかし、そもそも「童話」とは「こどものために作った物語」(広辞苑)をさす言葉だったわけだから「大人の童話」という言葉は大きな矛盾を含んでいる。それなのにどうして「大人の童話」という言葉がこれほど一般的に使われるようになったのだろう? と考えてみると、案外おおくのひとが、子供時代の得体の知れない奇妙に混淆した感情に気がつき始めていて、そしてそういうものは「大人」になってみないとどうにも語れないのだということを実感しつつあるからだと思える。子供のころ受容していたもの(出来事や物語や感情など)にわざわざ「大人の」とつけて咀嚼し直したいという欲望は身近なものなのかもしれない。生きれば生きた分だけ、辿り直すことができる。生きなおそうとするって、そういうことなのかな? と考えてしまった。人生のどこかでこの本を読んだという瞬間が、あとからどんなふうに辿り直されることやら。あるいはどんなに辿っても行き当たらない瞬間になるのかもしれないけれど。

 

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世界との接触、たとえば朝起きてちいさないきものを撫でるとか―ポール・オースター『冬の日誌』

生きるということがどんなことであるのか、ひと言で表現するのは難しいけれど、毎日なにがしかの文章を書きながら考えていること、それは生きるということが世界との絶えざる接触であるということだ。私は午前四時前に起きる、その時まずある感覚は全身のこわばりと痛み、それからなんとかベッドを抜け出して飼っている小動物の世話。撫でる、抱く、頭の上から耳の付け根のあたりを揉んでみる。朝食を整えたりする。朝食は「食べる」ために、毎日同じようなものでもきちんと用意する。もろもろの家事(洗濯と風呂掃除が最も腰にとって過酷)を終えてから仕事に行く。移動は車。自分の右足で間違いなく踏むアクセルとブレーキ、右足への絶大な信頼を持ってだいたい時速60キロメートルで動く。一日の大半は職場で過す。毎日だいたい1万5千歩ほど歩く。帰宅してから眠るまでの様々な事柄、たとえば読書と目のかすみ、書き物と頭痛、シャワーと水圧のこそばゆさ、小動物との遊びとくしゃみ。植物に水をやり、いらない葉や終わった花を落とす、ハサミを持つ右手の不器用さ、再びこわばり、そして就寝、ぼろぼろになって糸くずがたくさん出ているタオルケットに包まれる安堵。簡単にしか書けないが、これが自分の暮らしであり、自分の体が世界から受けとっている感触である。大袈裟なことなど何もない。ただいわゆる日常と呼ばれるものがある。そしてその「日常」の中の多くの感触は「体」が受け取るものであり、感覚も含めた総体が暮らしなのではないだろうか。

 

長々と書いてしまったが、今回ご紹介する本はこちら。

ポール・オースター柴田元幸 訳『冬の日誌』(新潮社、2017年)

 

冬の日誌

冬の日誌

 

 

 

実はこの大作家の著作を一冊も読んだことがなく、作者よりはむしろ訳者のほうを知っていた(私は柴田元幸さんを『MONKEY』の編集者として知っていたし、ナサニエル・ウエストの翻訳を今年に入ってから読んだはずだ)。今回この本に手を伸ばした理由は表紙に惹かれたから。こんな贅沢な本との出会いは久しぶりな気がする(もちろんブログに記事を書くくらいだから、内容もとても良かった)。

この本の内容を簡単にまとめれば帯にある通り、「人生の冬」を迎えた作家の、肉体と感覚をめぐる回想録だ。64歳になった著者の自伝であるが、思い出される自分のことを「君」という二人称で表現していたり、語られる人生上のエピソードが単に時系列で並べられているわけではないという面白さ。「体」にまつわる小さなトピックからより普遍的な人生の感慨に持っていくような書き方がとても印象的だ。たとえば顔についた傷跡を巡って。

 

君の傷跡一覧。特に顔の傷跡。毎朝、ひげを剃ったり髪を梳かしたりしようとバスルームの鏡と向きあうたびにそれらの傷が目に入る。それらについて考えることはめったにないが、考えるときにはいつも、それらが生のしるしであることを君は理解する。顔の皮膚に彫り込まれたもろもろのギザギザは、君という物語を語る秘密のアルファベッドだ。なぜなら傷跡一つひとつが治った怪我の名残であって、怪我一つひとつは世界との思いがけない衝突によって生じたのだから――つまり事故(アクシデント)によって起きる必要のなかったことによって。アクシデントとは取りも直さず、起きなくてもよいはずのことなのだ。それは必然性ある事実ではなく、偶発的な事実である。けさ鏡を見ていて訪れた、人生はすべて偶発的なのだという認識――ただひとつ必然なのは、遅かれ早かれ終わりが来るとういこと。

(前掲書、7頁より引用)

 

傷跡にはそれぞれ、その傷を負った時のエピソードがある。しかし、覚えのない傷もある。そういう「起源」のわからない傷跡に対して「君」は妙な話だと思う。「君の体が、歴史から抹消された出来事の起きた場であるなんて」(9頁)

起源と言えば、「君」という人物がどこから来たのか、という存在についての問題がある。この結局はよくわからない問題に「君」が出した結論は自分の一個の肉体の中には無数の文明が(わかりようのない先祖たちの移動と混淆)あって、それぞれが自分の肉体の上で相対立している、肉体はそういう「るつぼ」なのだというもの。

「手」に関する記述も面白かった。もしかしたら「手」というものが世界との無意識の接触をいちばんやっているのではないか。作者はジェームズ・ジョイスをめぐる逸話を紹介する。一人の女性が『ユリシーズ』を掻いた手と握手させてもらえませんかと頼んで来たことに対してジョイスはこう答えたという。「マダム、忘れてはいけまん、この手はほかにもたくさんのことをやってきたのです」(151頁) 

 

いかなる詳細も語られないのに、卑猥と婉曲の何たる傑作。すべてを相手の想像力に委ねるがゆえに効果はいっそう増している。彼女が何を見ることをジョイスは望んだのか? 《中略》いかように空白を埋めようとも、ポイントはとにかくひどく醜悪と思える行為、とうこと。君の手もむろん同じようにそうやって君に仕えてきた。誰の手だってこういうことをやってきたのだ。だがたいていの場合、手たちは思考をほとんど必要としない営みの遂行に忙しい。

(前掲書、151頁より引用)

 

思考を介さない手の動き、それが実のところいわゆる「日常」の暮らしの主な担い手なのかもしれない。このブログ記事を書いている手は今朝、小動物の糞を拾い、料理をし、尻を拭き、自動車のハンドルを握り、パソコンのキーボードを叩き、ひとにささやかな贈物をし、粘着テープと苦闘した。その時、その一瞬一瞬が世界との接触なのだ。考えていないだけど結構な大事である。無意識な手は暮らしを、そして人生を、もっと大きく言えば歴史を作ってかたちづくる。だが手は――手に限らず体のいたる部分は――いちいちそんなことなど考えていられないほど忙しいのだ。

 

世界との接触から人生をとらえるなら、当然「体」のことを書かねばならない。「体」があって、それが世界の感触を受け取ったり、世界に対して何らかの干渉をする。そして何らかの感情を引き起こすきっかけを作り出す。この本に私は「生きていること」「暮らすこと」の実感や肯定を強く感じたのだった。

 

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