言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

ずらす、くずす、くずれた!?―大前粟生『のけものどもの』


自分が世界のあり様として確信しているものどもの多くが、いかに既存の言葉とそこに付着するイメージ、印象によって形作られているか……。知ってしまってショックを受けた。独創性とは一体なんなのか、それは可能なことなのか? そんなことを考えながらこの本を読んだ。そんな読書体験の感想を書いていこうと思う。

 

大前粟生『のけものどもの』(惑星と口笛ブックス、2017年)

 

 

 (詳しくはこちらのリンク先へどうぞ)

 

 今年、西崎憲さん主催の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より発売された著者初の単行本である。この作品に収録されている22篇の短篇・掌篇小説が提示する言葉に「混乱」を感じるたび、自分の世界の捉え方が良くも悪くも「型」にはまってコチコチに凝り固まっていたことを思い知った。たとえば、「床から生えてきた隕石のような速さ」だとか「死んだ牛ともう育たない野菜」と言った言い回し(いずれも短篇「生きものアレルギー」より)。純粋に言葉というものから、なんらかの「像」を頭の中に思い描くことは可能なのだろうか。とても難しい。私のあたまの中には、いつもなんらかの既存イメージがすんでいて、言葉の受容を妨害してくる。……と、そんなわけで普段は使わないあたまの部分をフル回転させて、『のけものどもの』という作品を読んだ。

 

この小説を一言で表現するなら、「前提の崩壊」だ。

 

ここで言う「前提」とは、言葉に対して言葉そのもの以上に我々が塗り込めてしまっているイメージ。日常生活の中で「あたり前」のものとして我々に認識、共有され、再生産され続ける価値観。そういうものを、粉々に破壊してしまう力をもった小説だったと思う。よく知られた固有名詞、たとえば「情熱大陸」(あのTV番組だ)、「ファブリーズ」「あずきバー」「ノーベル賞」、プルーストなど数多の文豪たちの名前。これらのよく知られた固有名詞は、ほんの少し「よく知られた」部分からずらされると、あっという間に笑いの対象になったり不安のイメージを掻き立てる存在になったりする。

 

「封筒」という概念を私だけが勘違いしていて、封筒とはなかになにかを入れて運ぶものではなくて、なかに入ってきたものをたべてしまう生きものなんじゃないか。

(『のけものどもの』収録作品「不安」より引用)

 

 

※ちなみに、このブログ記事の「執筆者」は「情熱大陸」という番組を見たことがない、「あずきバー」を食べたことはない、「ファブリーズ」より「リセッシュ」派、プルーストの作品を読んだことはなく時だけが失われっぱなし、もちろんまだ「ノーベル賞」をもらってない。さらに馬鹿なことに「執筆者」はいつも手書きでブログを書く非効率的な存在であり、ブログの「更新者」とはたいてい別人である(「執筆者」の家にPCネット環境がないので業務委託)。おっと、話題が逸れまくったぜ。で、この部分を書いてるのはどっちかっていうのは秘密。

 

 

私が特に気に入った作品は「生きものアレルギー」「情熱大陸」「脂」「不安」「けものどもめ」「おじいちゃんのにおい」「キュウリ」「ねぇ、神さま」だ。

ただひたすら「想像」や「言葉遊び」という範疇に押し込めてしまうにはもったいないような気もする切実さ――生きているということと、死んでいるということ、生きものであるということと、物体であるということ、ちゃんと死んだことにしてあげることと、ちゃんと生きてきたってことになること――を感じた部分もあった。ふたつの状態から半ば離脱しかかるような不安定さに惹かれた。

 

以下、特に気に入った作品のうちから「キュウリ」と「情熱大陸」について、それぞれ書いていきたい。

 

 

■「キュウリ」

 

「わたし」と「キュウリ」の関係性がするっと反転するところに面白さを感じた。しかもその反転は本当に限られた文章の中で行われる。

 

「わたしの破壊欲のすべては口のなかで完結する。」

(引用)

 

キュウリを食べる小説。食べる、いや、噛み砕く。何も壊さない、誰も傷つけない、ただキュウリを噛み砕くだけの小説で、キュウリの叫びはやがて「わたし」のものになる。

 

 

■「情熱大陸

 

情熱大陸から電話がきた。」

という一文から始まる小説。

まず、この一文の時点で「情熱大陸」には二つの可能性がある。一つ目は、これがあの有名なテレビ番組からのオファーという可能性、もう一つは「情熱大陸」という名前の大陸があって、そこから電話がかかってきた、という可能性。

情熱大陸に出てくれという。」

二つ目の文で、どうやら可能性は前者、つまり「情熱大陸」はあの有名なテレビ番組(様々な分野で活躍する人たちを、ひとりひとり密着取材して取り上げ、紹介するという内容のテレビ番組)だったらしいとわかる。

小説の語り手「私」こと「大前粟生」さんに「情熱大陸」出演のオファーが来た!?

しかし、すぐ後に……

 

情熱大陸は、朝の5時ごろにきた。ちょうどアフリカ大陸と日本列島を足して2で割ったような格好をしている。」

情熱大陸が私に近づいてくる。私は後ずさりする。」

(作品より引用)

 

どうやら「情熱大陸」は具体的な形を持っていて、小説世界の現実に物理的に干渉してくるようなのだ。「情熱大陸」という名前の物体があるらしい。物体というか、話しているようなので、生き物だろうか。よくわからない。

 

情熱大陸の表面で木々がそよいでいる。」

「私ははにかみながら、情熱大陸のなかに入っていった。」

(作品より引用)

 

情熱大陸」は木々なんかがそよいでいる「大陸」だったらしい。しかもその中に「入っていった」ということは、以下、作品の舞台が「私の部屋」から「情熱大陸」に変わってしまったようなのだ。いつの間にか「情熱大陸」の上に立っている。

小説を書きたいはずの「私」こと大前粟生さんだが、「情熱大陸」は小説を書かせてくれない。仕方がないので「私」はFBIを目指すことになり、英語を勉強し、筋トレをし(小説書きたいのに!!)、その様子を「情熱大陸」(テレビ番組、固有名詞)が編集する。

 

すごい、たったこれだけの分量(とても短い作品です)でこれほどの転移。この現実レヴェル(語り手の立ち位置)の転移に読者はついていかなければならないのだ。

たった数行で「情熱大陸」という言葉が喚起するイメージが変わっていく。

「テレビ番組名(固有名詞)」→「物質・生物的存在」→「木々がそよぐ大陸」そしてその「大陸」の上が作品の舞台になる。これは「情熱大陸」の上で、「情熱大陸」による指導と編集が繰り広げられる掌篇小説なのだ。これにはかなり笑った。

 

情熱大陸は半笑いになって、ぼりぼりと頭を掻く。木が何本も部屋に落ちてくる。」

(作品より引用)

 

転移しすぎて何がなんだかわからなくなる。「言葉」とそれに付与され得る「意味」をずらしながら広がっていく作品世界。「言葉」と「意味」の距離を用いた一種の遊びなのだと思った。遊びといえばもうひとつ。

 

「右手にライオン、左手にその他のけもの」

(引用)

 

「その他の、獣」「その他、のけもの」?? 前者にすれば、ライオンとその他の獣(鳥類や霊長類)がたくさんいるなんだかアフリカ大陸みたいな印象が、後者にすれば、ライオンとその他名前も記されない除け者の存在が喚起される。ライオンだけがきちんと書かれていて、作品の最初のほうに「大陸に踏みつぶされた人たちの臓器」という暴力的な表現があるから、ライオンは「情熱」を貫いて勝利した王者の象徴であり、それ以外は「除け者」という読み方もできなくはない(けっこう深読みしすぎだと思うけど)。

 

と、いろいろな読み方を試みるのも遊びのひとつ。結局のところ、何が正しいとか間違っているということではなくて、作者が「ずらしていく」ことによって生まれる想像の余地を読者は思う存分楽しめばいいと思う。人は読みたいようにしか読めないのだ、というこのブログの基本方針(?)を再確認して終わろうと思う。

 

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惑星と口笛ブックスについてはこちらを参照↓↓

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空想と驚きに満ちた残響が聞こえる―カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』

もしも、絶対に割り切れないものが「まっぷたつ」に割れてしまったら……? それによって起こる様々な葛藤、滑稽な出来事の数々を上質な語りで聞かせてくれる物語、それがカルヴィーノの『まっぷたつの子爵』だ。

 

カルヴィーノ作、河島英昭 訳『まっぷたつの子爵』(岩波書店、2017年) 

 

 

まっぷたつの子爵 (岩波文庫)

まっぷたつの子爵 (岩波文庫)

 

 

この作品では、あろうことかテッラルバのメダルド子爵という人の「人体」そのものがまっぷたつになってしまうのである。小説の語り手である《ぼく》が語る叔父、テッラルバのメダルド子爵はかつてトルコ人との戦争に召集され、敵の大砲に真っ正面から突撃したがために、まっぷたつに吹き飛ばされてしまったのだ。

 

「叔父がテッラルバに帰還してきたとき、ぼくは七歳か、八歳だった。すでに日は暮れて暗くなりかけていた。たしか十月だった。空はどんよりと曇っていた。」
(前掲書、24頁より引用)

 

「やがて、担架が地面におろされ、黒ぐろとした影のなかに、きらりと片目が光った。年老いた乳母のセバスティアーナが大柄な体を揺すって近よろうとした。が、その影のなかから片腕が伸びて、鋭くそれを拒んだ。ついで担架のなかの体が引きつるように角張り、激しく揺れると、ぼくたちの目の前にテッラルバのメダルドは立ちあがって、松葉杖に身を支えていた。」(26頁)

 

戦場から帰還し、徐々に村人や読者の前に姿を現すメダルド子爵。この時彼は右半分だけの姿になってしまっていたのだ。しかもまっぷたつになってしまったのはメダルド子爵の体だけではない。「人間性」までもがまっぷたつに分かれてしまった。
小説の中でやがて、はじめに城に帰還したメダルド子爵は《悪半》、遅れて帰還したメダルド子爵は《善半》と呼ばれるようになる。《悪半》のメダルド子爵は「完全」な時にはわからなかった知恵のために「まっぷたつ」になることの素晴らしさを説くし、《善半》のメダルドは「完全」な時にはわからなかった不完全のつらさのために、「連帯の感覚」の尊さを説く。
《悪半》のメダルド子爵が次々と人を処刑にするような恐怖政治を行えば、《善半》のメダルド子爵は信じられないほどの善意で人々を救おうとする。ならば、善が悪を倒せばよいか、と言えばそんなに単純な話ではない。

 

「こうしてテッラルバの毎日は過ぎ、ぼくたちの感情はしだいに色褪せて、鈍くなっていった。そして非人間的な悪徳と、同じぐらいに非人間的な美徳とのあいだで、自分たちが引き裂かれてしまったことを、ぼくたちは思い知っていった。」
(前掲書、138頁より引用)

 

《悪半》のメダルド子爵に命令されて、処刑の機械や拷問の道具を作る馬具商兼車大工のピエトロキョード親方は、《善半》のメダルド子爵に制作物の残酷さを攻められる。親方の作るすばらしい道具は、いつも無実な人々を傷つけることになる。一体自分はどうすればいいのか? そうは思うけれど親方がいくら考えても答えは出ず、ただ作りかけの機械をさらに完全に、美しいものにするしかなかった。

このあと、なんやかんやで物語が「めでたし」となるのだけれど(結末は是非読んで確かめてください笑。短い作品なのですぐに読めます)、結局のところ「極端なもの」はそれが善であれ悪であれ、人を満たすことはないのだ、ということだろうか。

 

ところで、メダルド子爵がまっぷたつになってしまったという事件の顛末を語る「語り手」の《ぼく》は一体どこに立っているのだろうか。
答えは未来だ。
というのはすぐにわかる。語り手は叔父のメダルド子爵がまっぷたつになって巻き起こる様々な事件のずっと後の地点に立って当時の様子を語っている(「ずっと後」というのがわかるのは、メダルド子爵のその後の人生がすばらしいものになったということまで語ってしまっているから)。私がこの作品を読んでいて、どんなに残酷な描写がこようが(書き出しの戦場の描写は恐ろしいものだったけれど)安心して、作中のユーモアに浸れたのはこの語りの構造によるところが大きい。
語り手《ぼく》は当時を知るその他の人々(たとえばパメーラ)から聞いて知ったことなども含めて、「あの頃」の村の様子を語る。あの頃の《ぼく》は物語を次々に作り出しては喜んでしまうような空想癖があった、ということが小説の最後のほうで明かされる。《ぼく》のこの性質が、小説の語りを補強する。実際の《ぼく》のまなざし以上のことが語られていても許されてしまう。《ぼく》は物語る素質を持った愉快な語り手なのだから。
しかし、なぜ《ぼく》が「あの頃」を語ろうとしたのか、その動機は書かれていないので一切不明だが、そんなことを考えていると、最後の一行が味わい深いもののように思われてくる。

 

しかし船の影は水平線に沈みかけていた。そして責任と鬼火とに満ちたこの世界に、ここに、ぼくは残されてしまった。
(前掲書、154頁より引用)

 

7歳か、8歳のころからの数年。
叔父のメダルド子爵が「まっぷたつ」になって戦場から戻ってきたあの頃。

語り手にとってその「時」は、あまりに忘れがたいものなので、ついつい何度も思い出してしまうのか、そして語ってしまうのか。語り手《ぼく》が「あの頃」からどのくらい離れた地点に立っているかは想像するしかないけれど、物語として語られる事件のひとつひとつが大切なことのようで、その思い出のなかに、いつまでも空想と驚きに満ちた残響が聞こえるような気がしてしまう。

Arbetsglädje、楽しんで取り組む―ボエル・ウェスティン『トーベ・ヤンソン―仕事、愛、ムーミン』

私はムーミンの原作小説が大好きだ。

それから、いろいろと雑貨屋でみかけるムーミングッズを眺めているのも好きだ。

それまで「キャラクター物」を好きになれなかった自分がどうしてこんなにもムーミンに惹かれるのだろう? それはもしかしたらムーミン世界で暗黙の了解になっている「自由」のためであったり(ムーミン一家はそれぞれ好き勝手にやっているふうに書かれる)、また作者の仕事と愛に向かう姿勢のためなのかもしれない。

トーベ・ヤンソン、というムーミン物語の原作者の名前を知っている人はどれほどいるだろう。知っているようで意外と知らない。ムーミン小説を全部読んで、コミックスもけっこう読んだけれど、作者のトーベ・ヤンソンそのひとについて書かれたものを読んだのは今回がはじめてだった。

 

ボエル・ウェスティン 著、畑中麻紀・森下圭子 共訳『トーベ・ヤンソン―仕事、愛、ムーミン』(講談社、2014年)

 

トーベ・ヤンソン  仕事、愛、ムーミン

トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン

 

 

 

 

「書くこと、描くこと。好きな場所を見つけること。愛する人と過ごすこと。自分の本心を見つめること。たとえ何があろうとも――」

人生で何よりも大切なこと

ムーミンを生み出したトーベ・ヤンソンの生涯。

最も信頼されていた研究者による決定版評伝!

176点の図版と写真資料満載

(帯文より引用)

 

トーベ・ヤンソンは1914年8月9日にフィンランドヘルシンキに生まれた(現在、8月9日はムーミンの日ということになっている笑)。父ヴィクトルは彫刻家、母シグネ(愛称ハム)は挿絵画家だった。トーベ自身は画家として、また作家として七十年以上活動をしたそうだ。デビューはわずか14歳の時、雑誌のイラスト掲載だった。翌年には児童誌のルンケントゥス誌で全七回の物語の連載を担当。十五歳で最初の風刺画を発表(以上、前掲書に記載されている情報より)。ちなみにムーミン物語の最初の小説『小さなトロールと大きな洪水』が発表されたのは1945年晩秋。当時はまったく注目されなかったらしい。

トーベ・ヤンソンの芸術家人生に貫かれていた姿勢、それは「働く」ということだった。「働くことは、行動すること、工夫すること、成し遂げることだ。」(前掲書17頁より引用)

 

「創造」や「インスピレーション」という言葉は、ヘルシンキのカタヤノッカ地区ルオッツィ通り4Bにあったヴィクトルとシグネのアトリエハウスでは禁句であり、その代わりに「働くこと」と「意欲」について語られた。若きトーベの挿絵付きの日記には、働くことのさまざまな描写があふれている。書き、描き、塗り、縫い、彫り、冊子を作り、いかだや小屋や小さな家も作る。

(前掲書、18頁より引用)

 

ものをつくるということに対して、常に「楽しんで取り組む(arbetsglädje)」姿勢に共感してしまう。もちろん、作っている過程がいつも楽しいとは限らないけれどトーベ・ヤンソンにとって創作活動はいつも「自由」であるべきものであった。「私はもっと自由にならなければ。絵を描いている時に自由でいるために」(111頁)とも書き残している。

 

「義務感と意欲とのバランスは、絶えず私の課題であり続けた。でも、少しずつ私は私らしく、私なりの解決に辿り着きつつある。自分の意欲に誠実になること。やりたいと思ったことを楽しんで取り組む。人からやらされたものは何ひとつとして、自分にも周りにも喜びをもたらさない」

(前掲書17頁より引用、1955年4月ムーミン最初のブームがピークに達した頃にトーベが書いたもの)

 

「私らしく、私なり」ということは、簡単そうでいてとても難しい。

日本には世間体を気にする風潮が濃くあると思うのだけれど、そういう空気はスウェーデンフィンランドにもあるらしいと最近知った。「ヨーロッパの日本」などと言われることもあるらしい。トーベ・ヤンソンフィンランド人であるが、スウェーデン語を話す(ムーミンスウェーデン語で書かれた)。このスウェーデン語系フィンランド人の、しかもアーティストの世界というのはとても狭いそうで、そうなると周りを気にすることも多いように思う。そんな中で(そんな中だからこそ?)「自由」を求め、「私らしく、私なり」であることを追求したトーベ・ヤンソンの勇気に驚く(それだけでなく、1940年代にはガルム誌で一国の支配者を取り上げて嘲笑う抗議の「諷刺画」を描いていた。検閲にひっかかって掲載されなかったりもしたようだが)。

 

大好きだった人々、父や、母、ふたりの弟たち。それからその時々のパートナー、アトス・ヴィルタネン、ヴィヴィカ・バンドレル、トゥーリッキ・ピエティラのこと。戦争や政治の暗い時代、美術学生として過ごした日々、留学、「ムーミンビジネス」に忙殺されていたつらかった時期のこと。ムーミン以外の絵画や小説、島暮らしのことも。なによりも「自由」を愛し、自らを「画家」と規定することにこだわったトーベ・ヤンソンの生きる姿勢が、彼女の手による日記やメモ、手紙の文章も交えて詳しく書かれた600頁以上もある贅沢な1冊である。

もちろん、「ムーミン(mumintrollet)」誕生やその後世界中で読まれるようになっていく経緯も詳しく書かれている。初期のムーミンを描いた絵のなかに、黒いムーミン(?)がいる!!

 

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ここに小説を「置く」と、新たな時空間が立ちあがる? あれ、ここどこだっけ?―福永信 編『小説の家』

この本は、2010年4月号~2014年8月号まで『美術手帖』誌上で連載された小説とアートワークのコラボレーション(企画・発案:福永信)をまとめたアンソロジーである。

 

福永信 編『小説の家』(新潮社、2016年) 

 

この連載がはじまった頃、つまり2010年頃の自分ならこういう「アートとしての小説」にすごく共感したと思う。そしてそういう表現の在り方にインターネットいう場がぴったりだと思っていた(まぁ、この思いはやぶれるんですが笑)。

この本のすごい所は、小説は小説として面白く、アートワークはアートワークとして面白いのだけれど、その上でさらに合わさることによって独特の時空間を作り上げたと言える。これぞコラボレーションの意味……!

だからこの本、ちょっと紙質が良いです、カラー印刷です、ヴィジュアル面にとても力が入っています(だからちょっとお値段が高いです)。ページ上に小説を「置く」ということにここまで注意を払った本はそうそうないだろうと思う。眺めていてとても楽しかった。

途中、なんか白いページが続くのだけれど……。

 

このような、時間経過にともなって暗闇に目が慣れてゆく視覚の変化――そうした体験そのものを鑑賞行為に組み込んだインスタレーション作品が、ここには展示されている。

(前掲書掲載、阿部和重「THIEVES IN  THE  TEMPLE」159頁より引用)

 

……Yonda?

 

美術手帖』掲載時から「読めない」「印刷事故か」といった問い合わせ(苦情?)が編集部に寄せられていたらしい。極度に薄いインクで白地に印刷された、光にかざして角度を調整するとやっと判読できるかというエディトリアル処理、だそうであるが……読むのが大変だった。いろいろな角度からみた。まるで美術館にいるみたいな読書だった。

(ちなみに上の引用は、昔ネット上でよくみかけたネタバレ防止のための書き方をつかっています。なつかしい)

目次をさっと見るだけで、執筆陣の豪華さにしあわせを感じた。小説に対して何か「お題」のようなものが存在していたかどうかはわからないけれど、どの作品も「なにかをつくりだす」ことに向き合った結果なのだと思った。もちろん、作家によって方向性は様々。

中でも、最果タヒ「きみはPOP」という作品がとても好きだ。

 

「大量の肯定に少しだけの否定を混ぜたのがポップスだ」

(73頁より引用)

 

この作品の語り手は、大量の肯定(聴衆)に向かって少しだけの否定を投げ込んでいくアーティストだ。肯定だらけのねちょねちょした空間に「私」のするどい否定がわりこんでくる、これが才能、かっこいい。私ブログ管理人はSNSの「いいね」機能がかもしだす、漠然とした共感、肯定のねちょねちょした感じが嫌いなのだけれど、そんな自分にとってこの小説の語り手「私」の否定は気持ちが良かった。半ば暴力的と言ってもいいくらいの「否定」による切り裂きのこの爽快感。

たとえば「おまえら、死ねよ」(67頁)、「おまえらナルシストたちの自己愛発散のサンドバックになっている私です。」(69頁)、「私はパスタをもう食べたくないと思ってゴミ箱に捨てた。」(74頁)、「明るい日差しがカーテンから、まっすぐ目覚まし時計と私の小指を切っていく。」(78頁)

これらの言葉からうっすらと浮かび上がる暴力的な印象(それから冒頭の引き金を引く、もそうだ)。どれも小さな暴力であり、何かを決定的に破壊しつくすようなものじゃない。この小さな暴力の印象が作品全体にうすく広がるように注意深く配置されているように思った。ひとつひとつの小さな暴力(否定)が、小説の世界に充満する大量の肯定に混ぜられ薄められた、そのおかげで「私」が「売れる」ということを書いた、つまりこういうあり方が先生の規定したポップスの在り方であり、そういう存在になれた語り手「きみはPOP」なのだ。それでうれしいかどうかは知らない。語り手の声はPOPなものとしてCDというパッケージ化を経て消費されていく。作品のレイアウト(ここがアートワークと小説のコラボとして素晴らしいと思う所、そのもの以上の時空間を演出してしまう)も含めて、POPというものの在り様そのものを描いて見せたのが、この作品なのかもしれない。語り手の主張が濃く書かれれば書かれるほど、その部分がCDに添付されている歌詞カードの歌詞みたいに思えてしまう。ただ紙に印刷しただけの写真と文字で、これだけの空間を生み出せてしまえるのか……と正直驚いた。メタとかそういう言葉じゃ足りない、なんかこう読者を引きず込み巻き込んでしまう力を感じた。

 

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収録作品(本の帯より引用)↓↓

「鳥と進化 / 声を聞く」短編でしか拾えない声、柴崎友香の新境地。

「女優の魂」チェルフィッチュの傑作一人芝居にして岡田利規の傑作短編小説。

「あたしはヤクザになりたい」たくさんのたった一人のために。山崎ナオコーラが書く永遠。

「きみはPOP」最果タヒがプロデュースする視覚と音の世界。小説と詩の境界。

「フキンシンちゃん」新人漫画家・長嶋有の風刺&生活ギャグまんが、たくらみに満ちた続編。

「言葉がチャーチル」お前はすでに終わってる。青木淳悟が始末する世界史。

「案内状」あの耕治人が全国の文系男子を激励! 幻の作品、時空を飛び越えて収録。

「THIEVES IN  THE  TEMPLE」白いスクリーンに映り込む人間模様の黒い影。文学を漂白する阿部和重の挑…(おっと、帯がちぎれていてこの先がみえない)

「ろば奴」いしいしんじはよちよち歩きで世界の果てまで到達する。奇跡の作品。

「図説東方恐怖潭」「その屋敷を覆う、覆す、覆う」そのとき、古川日出男は現実を超越する。

「手帖から発見された手記」すべてはここから始まった。円城塔によるまさかの大団円。

 

 

 

関連サイト↓

www.shinchosha.co.jp

大事は静けさのうちに―古井由吉『夜明けの家』

小説を読んでいる間の、時間はいったい誰のものなのだろうか、とふと思う。

読む作品によって、本を読んでいる時間の在りようというのは、どうしてこうも違うのだろう。やっぱり小説を読んでいる間の時間は、純粋に自分の時間ではないかもしれない。素朴な考え方だけれど、その時間というのは登場人物の生きている時間であったり、その人物にとって過去の時間であったり、またそれに同調するように自分もふと思い出してしまう過去の時間であったり、時には作者によって支配されてしまう時間なのだ。
古井由吉の『夜明けの家』という本を読んだ。

古井由吉『夜明けの家』(講談社、1998年) 

夜明けの家 (講談社文芸文庫)

夜明けの家 (講談社文芸文庫)

 

 (私が読んだのは、文庫版ではなくて単行本だったので、引用ページ番号は単行本になっています。ご了承ください。)


濃密な文体の小説はその濃さのゆえに、読者の時間感覚を麻痺させてしまうものらしい。この一冊を読んでいる間の私の時間は止まっていた。本を読んでいる間の時間が極限まで圧縮され、まるで止まっているかのような心持ちになった。こういう読書体験は久しぶりかも知れない。読み始めるまで時間がかかり、読み始めればその時間の外側に逃れることができなくなる。なかなかに怖い経験だったと言える。

生と死、または覚醒と眠りのはざまのゆらぎ。明確な線で区切ることのできない領域、そのあわい時空間を描いた短編集だ。生死の間(あわい)を縫う最高の連作。
収録作品と初出をメモ程度に書いておく。私は特に、「祈りのように」「クレーン、クレーン」「島の日」「夜明けの家」が好きだ。

 

『夜明けの家』収録作品(初出誌はすべて「群像」)
「祈りのように」1996年11月号
「クレーン、クレーン」1996年12月号
「島の日」1997年1月号
「火男」1997年3月号
「不軽」1997年4月号
「山の日」1997年5月号
「草原」1997年7月号
「百鬼」1997年8月号
ホトトギス」1997年9月号
「通夜坂」1997年11月号
「夜明けの家」1997年12月号
「死者のように」1998年2月号

 

死者の時間が、生者の見る風景にまぎれこむように描かれている。たとえば「島の日」の干潟であったり、「クレーン、クレーン」に出てくる外装工事をされる建物であったり、夜明けという時間帯と、そこにある不眠であったり。「夜明けの家」冒頭の鴉も印象的に描かれている。その飛べない鴉の生死を語り手は気にしているのだが、その鴉の姿を見かけなくなる、というのは何のことはない人間の身勝手、つまり語り手の目が探さなくなっただけに過ぎない。それは「死んでいる」のではないのかもしれない(実際に死んでいるかもしれないけれど、本当のところはわからない)。生と死の間(あわい)も、覚醒と眠りの間も、また現在と過去の記憶の風景でも、自由自在に往来する筆の運び。「夜明けの家」に登場する老人は「生死の境のゆるむままにしか生きられなかった。境がゆるまずには夜が明けない」(229頁)
作者はこの一連の短編小説を書くことで、死者の時をはかっているのではないか、と思った。生と死を対立するものとして捉えるのではなくて、そういう捉え方をすればつい取りこぼされてしまいそうになるものがあるのだという感慨に深く感じいる。


「生きている」というのはどういう時間に自らを浸している状態のことだろうか。では「死んでいる」というのは何だろうか。それは時間に沈むようなことだろうか。だがしかし、そうであるならば生者の回想に突然浮かび上がってくるこの死者の時は一体どういう状態に属するものなのだろう。


この作品の中では決して「大事件」は起こらない。人が死ぬ、ということは確かに当事者や周囲の人々にとっては十分に大事件であるし、死というもの、あるいはそこへと至る可能性を秘めた病というものを書く作品において、人の死は避けては通れない。しかし、この作品に「大事件」の喧噪は見あたらない、あるのはただ静けさばかりだ。喧噪があるとすればそれは「生きている」者の周囲に広がる風景からくるものだ。そこに死者の沈みかけるような時間の沈黙が上塗りされている印象を受けた。
「大事件」は起こらない、だけれど大きなことが起こっている。大事は静けさのうちに生起し、そして消えていく。

最後に「島の日」という作品から引用しておきたい。

 

「鳥たちがまた騒いでいる。玉を転がすような細い音色だが、寝床から耳を澄ませば、たちまちおびただしい群の声
になる。昼よりは近くに聞える。潮が上げてきたので、狭くなった渚にひしめいて、いよいよ忙しく餌を漁っているらしい。夜半にはまだ間がある。睡気のほうはせっかく満ちかけたのがまた引きつつある。旅の最後にはとかく不眠の夜が来る。」
(前掲書、50頁より引用)

「昨日と今日との間に畳みこまれて、別の一日があったのか。あるいは墓丘の上の夕暮れと、寝床の上に打ちあげっれたこの今との間に、長い漂流がはさまるのか。干潟の光がいつまでも失せずにいるので、つい夜半までさまよって、かすかになった足音が、風に流れる草の穂を分けて近づいてくる。部屋の中に入り、片隅にまとめた荷物をひょいと肩に掛け、夜明けのほうにもう近いので、その足で家へ帰って行く。朝一番の船に乗り、また一日歩きまわった末に、空港の搭乗待合室で眠っている。」
(前掲書、68頁より引用)

 

 

島々を書く、やがてそれは大陸になる―ル・クレジオ『ラガ 見えない大陸への接近』

日本は島国である。

と、敢えて当たり前のことを書いて再確認したくなるほどに、私には島暮らしの実感がない。自分の属する国が他国から見れば「島」であるにも関わらず、なんとなくもっと「地盤」のしっかりした場所にどかっと暮らしているような気持ちでいる。そして、私が「島」だと思う場所は自分の暮らす土地のほかにある。たとえば、礼文奥尻小笠原諸島や沖縄、対馬長崎県九十九島と呼ばれる一帯のことを、また北方領土のことも「島」だと思っている。それらが「島」であるのに、自分が今立っている場所は「島」だとは思えない。これってちょっとおかしな感覚だ、ということにはじめて気がついた。自分を中心に考えて、自分の立っている領域より狭い場所を、私は「島」だと思ってしまうらしい。

それでずっと、「島」という場所には一種あこがれの感情をもって接してきた。

 

今回紹介する本はこちら。

ル・クレジオ 著、管啓次郎 訳『ラガ 見えない大陸への接近』(岩波書店、2016年)

 手に取って最初に、この本の装丁の、深い青色に心が満たされる思いがした。 

ラガ――見えない大陸への接近

ラガ――見えない大陸への接近

 

 

 

南の島々、と聞いて我々は一体なにを想像するだろう?

どぎつい色をした花柄のワンピースを着た島の女の、日に焼けた黒い顔。その彫りの深い顔の、くぼんだ眼と高い鼻、厚いくちびるからこぼれる言葉はどこか呪文めいた語の羅列、そういう歌のハミング、たとえばラグビーで有名なトンガから連想される、からだの大きな人々から漏れ出す細やかなリズム。強烈なにおいのする見たことのないような巨大な花はどれもこれも驚くほどに赤かったりピンク色をしていたりする。これが私の思い描く、大雑把に捉えるならチリ沖のイースター島から台湾のあたりまでの太平洋のイメージだ。もちろん、この地域には一度も行ったことはない。つまりこのようなイメージは本当にただの想像でしかなく、それを根拠にした「好き」という感情さえ、自分が南の島々に対して勝手に押し付けたイメージに対する好奇心でしかないかもしれない。それなのに時々、無性に心配になる。何故、この大好きな熱帯地域には「アメリカ」があるのだろう? かつて「日本」もあったという。ふと中島敦という小説家や、土方久功という彫刻家のことを思い出す。

 

おそらく旅には、自分自身の無能を正確に測るという以外の理由などないのかもしれない。ラガという、見えない大陸のこの一片に、ぼくはほとんどついうっかりとでもいうようにして近づいてしまった、それがぼくに何をもたらしてくれるのかも知らず。夢か欲望か、幻想か、新たな希望か、それともただの寄港地か……。

一瞥し、かすめただけのラガが、すでに遠ざかってゆこうとしている。

(前掲書、109頁より引用)

 

太平洋に点在する島々は大きく三つに分類される。

ミクロネシアメラネシアポリネシアだ。

本書でル・クレジオが扱うのは、南西太平洋にひろがるメラネシア地域に、1980年に生まれた独立共和国ヴァヌアツ、その中でも特に独自の言語と習慣が生きているという島、ペンテコスト島、現地名は「ラガ」という場所だ。原著は2006年に出版されたスーユ社の「水の人々」と呼ばれるシリーズの一冊で、ペンテコスト島を訪れたル・クレジオの紀行文と言える(以上、要点は本書に挟み込まれていた訳者の管啓次郎氏による解説「訳者から読者へ」というブックレットを参照した)。

ペンテコスト島、ラガ、アオレア。これらはすべて同じ島についている名前だ。ラガはアプマ語、アオレアはサ語という言葉による「ペンテコスト島」の別名だそうだ。訳者は「別の言語集団からはまた別の名で呼ばれ、そのようにしてひとつの島は何重にもかさなった名と記憶をもっているようです。」と書いている。

不思議なことのようにも思えるが、考えてみればこの感覚はとても身近なもので、たとえば北海道に住む私の場合「樺太」と「サハリン」が同じ場所をさすことを知っているし、その上にある都市「豊原」は「ユジノサハリンスク」、「大泊」は「コルサコフ」であるということも知っている。かつてそこが先祖の地であったという記憶が土地の名前の重層的なイメージを支えているようだ。北方四島も、ロシアから見れば、日本から投影するイメージとはまったくかけ離れた名前や役割が与えられているのかもしれない。単に国の違いに留まらず「島」の内側と外側という意識の違いによって生じる風景もあるだろう。

ル・クレジオが紹介する「ラガ」の風景は、決して穏やかなものではない。

 

海は純粋な青だ。観光客がよろこぶラグーンのトルコ石の色ではなく、暗く、激しく、深い青。ペンテコスト島では岩礁がない。島は深淵から立ち上ってきた孤立した高い火山の山頂であり、どこか始原の壮麗さを身にまとっている。それは何千何万年にもおよぶ雨と嵐の時期、空がそのまま地表に落ちてきてまだマグマが顔をのぞかせている谷を溺れさせ、やがて太陽が成立したころのことだ。

(前掲書、54頁-55頁より引用)

 

島にある村は海岸沿いの便利な位置にはない。切り立った崖を登ったところ、その深みに人の暮らす場所がある。そのこと自体が、かつてこの地域を襲った「ブラックバーディング」と呼ばれる島々の征服をめぐる黒い伝説の影だ。本書によれば「ブラックバーディング」とは、1850年から1903年にオーストラリアの法律により公式に終止符が打たれるまで続いた強制的に徴用された労働力の取引のことであり、事実上、奴隷制そのものだったという。南洋地域は歴史上、幾度となく戦場にされたり、核実験の場所として選ばれてきた暗い歴史もある。しかし、それだけでなく、ル・クレジオはラガの風景から「抵抗への意志」を汲み取っている。たとえば言語。征服者たちの暴力の痕跡を背後に秘めるクレオル語には、クレオル語話者たちの「生き方と世界理解の仕方が、変化し生き延びみずからを再発明する能力」が刻み込まれているという。

 

島。その場所を、

海に囲まれているがゆえに、外界から隔絶されていると捉えるか、

海に囲まれているがゆえに、あらゆる場とつながっていると捉えるか。

 

この捉え方ひとつで世界は随分と違って見えるものだ。近年の歴史学の研究では後者の立場をとって日本史や世界史をとらえ直す動きが盛んになってきている(そしてこの見方は、教科書的な「硬直した」歴史とは全然違ったイメージを与えてくれる)。ル・クレジオの立場も後者だろう。

 

アフリカのことを人は失われた大陸だという。

オセアニア、それは目に見えない大陸だ。

目に見えないというのは、そこに最初に思い切って乗り出した旅人たちにはそこが見えていなかったからであり、また今日でもそこが国際的には承認されていない場所、通過地点、ある種の不在であるに留まっているからだ。

(前掲書3頁より引用)

 

大地ではなくむしろ太陽によってできあがった大陸であり、様々な群島、深海からそびえたつ火山、あらゆる時代を通じてもっとも恐れを知らない海の旅によって人間たちが住みついた珊瑚礁から、なっていた。初期のヨーローッパ人航海者たちがそれを見ることなく横切ってしまったひとつの大陸。夢の大陸だ。

(前掲書7頁より引用)

 

南太平洋に浮かぶ島々を、ひとつの大陸と見なすこの大胆な表明。

ル・クレジオの目に島々がそう見えた理由、それは人の移動とともにゆるやかに移っていったと想像できる文化の痕跡や、死者たち、先祖たちの声が、遠く島を越えて伝わってゆくように響き合うスリット・ゴング(木鼓)の音と重なりあったように感じたためだろう。スリット・ゴングの響きは大陸の「博物館」のような場所では何も語らない。生活の猥雑な、整理されていない、まさに生きているという現場でこそ初めて聞かれるもの、文化というものへの深い洞察をもつル・クレジオが「ラガ」で拾い集めて書き上げた言葉。その言葉がこうして一冊の本になって私たちの手元に届く。「ラガ」から、ひとつひとつ拾い集められた言葉はやがて風景になって、いつの間にか読者の前で繋がるように、島々をひとつの「大陸」に見せてしまう。

 

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30年という時間―津島佑子『半減期を祝って』

今回は津島佑子半減期を祝って』という本について感想を書いていきたい。この本には表題作のほか「ニューヨーク、ニューヨーク」「オートバイ、あるいは夢の手触り」という短篇小説が収録されている(初出はいずれも『群像』)。

 

 

半減期を祝って

半減期を祝って

 

 

 

みなさま、おなじみのセシウム137は無事、半減期を迎えました。祝いましょう!

30年後のニホンの未来像を描き絶筆となった表題作のほか、強くしなやかに生きる女性たちの姿を追った「ニューヨーク、ニューヨーク」「オートバイ、あるいは夢の手触り」を収録。女性や弱者、辺境のものたちへの優しい眼差しと現状への異議――。

日本を越えて世界規模の視野を切り拓き続けた津島文学のエッセンスがここにある!

(本の帯文より)

 

表題作「半減期を祝って」には、セシウム137の半減期を迎えた30年後のニホンが描かれる。生活は確実に苦しくなっていて、自殺者数、死刑の執行数も増加しているのに「平和がなによりですね」というコメントが流れるテレビの街頭インタヴュー(ほとんど誰も見ていない)。戦後百年というキャンペーンでメディアはみんな大騒ぎ。そんな社会には14歳から18歳までの四年間、子どもたちが入ることになるASD愛国少年(少女)団なる組織がある。そのあと今度は男女問わず国防軍に入らなければならないという社会が設定されている。ちなみにこのASD出身者は国防軍では優先的に幹部候補として扱われることになるらしいが、ASDには厳しい人種規定があって、純粋なヤマト人種だけが入団を許されているというのだ。アイヌ人もオキナワ人もトウホク人も入団できないという。『狩りの時代』にヒトラーユーゲントが描かれていることをふと思い出した。何の罪もないはずの美しい者(子供たち)が政治的に利用されていくという悲しい姿がいつまでも心に黒い染みとなって残るようだ。

 

半減期」という言葉は、おそらく東日本大震災原発事故後しばらく経ってから一般に馴染みだした言葉だろう。「放射性元素が崩壊して、その原子の個数が半分に減少するまでの時間。放射線の強さが半分に減少するまでの時間」(URL)と説明されているが、一体なんのことやら……というのが私の生活の実感としての正直な感慨だ。「私の生活の実感」を他者に押し付けるのはあつかましいが、しかし多くの人にとって「半減期」はそういう感慨をもって眺められている言葉ではないだろうか。作中で「半減期を祝っている」人々も同じような感慨も持っているように思える。「半減期の厳密な定義なんてぶっちゃけよくわかんないけど、なんかヤバいやつの影響が30年経って半分になったってこと? それなら良かったじゃん!」という程度の認識。実際は半減期を迎えたというセシウム137の他にも(たとえばプルトニウムなんかも)原発事故によって私たちの暮らしの只中にばらまかれたのだけれど、人々はそんなことも忘れてしまっているかのようだ。忘れてしまっている、というか忘れさせられているというか。そもそも原発の抱える根本的な問題さえ認識しないまま、人々が営む日常は「大きな声」によってだいぶ歪められた社会に見える。

 

(アナウンスの声)

……みなさま、おなじみのセシウム137は無事、半減期を迎えました。正確にはすでに四年前、半減期を迎えていたのですが、今年は戦後百年という区切りの年です。すべてにおいてまだ原始的だった百年前の戦争で、どれだけ多くのひとたちが理不尽な苦しみのなかで死んでいったか、そのことを偲ぶための記念すべき年でもあるのです。戦争において、兵士が餓死するなど決してあってはならない事態です。しかも、一般市民の頭のうえに、原子爆弾がはじめてアメリカによって無慈悲にも落とされたのでした。

(前掲書、78-79頁)

 

踊らされてはいけない、大きなメディアの大きな声、この言葉いつだって上滑りだということを、私は東日本大震災をめぐる一連の報道の中で感じていた。こういう暴力も存在するのだ。

作者はこの暴力の存在を描きながらも、しかしそれだけのディストピア小説が書きたかったのだろうか? というのが読了後ずっと私の頭の中にあった。著者は単に近未来ディストピアを書きたかったわけではないだろうと思えてならないのだ。では何を書こうとしたのか? もちろん、原発を取り巻くあらゆるものへの「告発」であり「挑戦」なのだが、それよりもむしろ「30年という時間の感覚」を書きたかったのではないだろうか、と思った(これは本当にブログ管理人の単なる雑感ですが)。

身の回りにある昔より便利になったあらゆる物の存在を思えば、30年は充分に長い年月のように思え、しかし生活の実感としては本質的な変化があるようには感じられない。と同時に、原発事故で避難を余儀なくされた人々が避難先に定着するのに充分な時間でもある。

 

三十年後の世界を想像せよ、と言われると、それじゃ三十年前はどうたったのか、と反射的に考えたくなる。

(前掲書75頁より引用、この作品の冒頭)

 

三十年後にしても、三十年前にしても、人は自分の生活の実感でしかその距離を感じることはできないのかもしれない。同じ三十年に対して、あっという間だったと思うひとも、ひどく長かったと思うひとも当然いる。そういう思いの背景にはいつもそれぞれの生活の実感というものが横たわっているのだ。それを無視してひたすら「半減期を祝う」ということが、どれほど残酷なことであるのか、本書を読みながらひとり考えてしまった。

津島佑子は『狩りの時代』において、「差別」とは何か、はっきりと言葉にされていない「差別」を言葉の力で浮き彫りにして読者の目に「見える」ようにした。とすると、この作品にも空気のように漂う形の無い暴力を捕まえようとする意志があるのかもしれない。

 

併録されている「ニューヨーク、ニューヨーク」は、トヨ子という大柄な女性が男と離婚してから亡くなるまで辿った時間を、息子の薫が男に伝聞するという形式の物語。トヨ子はニューヨークにあこがれていたのではない、ニューヨークを自分の体に呑みこんでやりたかったのだ、ということに気がついた時には何もかもが遅く、すべては過ぎ去ってしまったあとなのだった。「オートバイ、あるいは夢の手触り」は、主人公の景子という人物が見聞きした「オートバイ」にまつわる思い出をあれこれ思い出していく物語。そしてそれらのオートバイの手触りを、景子はもう二度と感じることはないという寂寥がなんとも言えない余韻を残す(少し渋いな、と感じた)。「聞き慣れたオートバイの音は二度と、景子の人生の時間に戻ってはこなかった。」(72頁)

 

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