言葉でできた夢をみた。

海の底からわたしをみつめる眼は、きっといつか沈めてしまったわたし自身の眼なのだろう。(書きながら、勉強中。)

『MONKEY』という文芸誌のこと―将来を明るく見据える支援?

「月刊」ということにこだわらなければ、面白そうな文芸誌っていっぱいある。

今回ご紹介するのは『MONKEY』という文芸誌。

 柴田元幸責任編集 MONKEY

 

 

「翻訳家の柴田元幸が責任編集を務めるMONKEYは、今私たちが住む世界の魅力を伝えるための文芸誌です。いい文学とは何か、人の心に残る言葉とは何か、その先の生き方を探していきます。未来への羅針盤となるために。」

『MONKEY』vol.12巻末、ホームページより引用

 

 

年3回(2月、6月、10月)の発行で一年間、または二年間の定期購読も可能だ。

詳しくはHP参照。ちなみにvol.12の最後の方、編集後記的な位置にある「猿の仕事」という文章には定期購読の宣伝としてこんな文言がある。魅力的だったのでそのまま引用(うまいな~と笑)。

 

「性格的になかなか将来を明るく見据えられない人間が将来を明るく見据える支援にもなります。次号から、ぜひ。」

(『MONKEY』vol.12 「猿の仕事」187頁より引用)

 

MONKEY vol.12 翻訳は嫌い?

MONKEY vol.12 翻訳は嫌い?

 

 

 

私がこの文芸誌を手にしたのは12号がはじめてだった。たまたま好きな小説家である小山田浩子さんが新作掌篇小説「世話」を寄稿しているということで気になっていたのだ。よほどネットで注文しようかと思ったが、本屋で偶然見つけたのでそのまま買って帰った。

翻訳家が責任編集を務める「翻訳」特集の文芸誌(vol.12特集「翻訳は嫌い?」)。

これは面白そうな予感……。

パラパラめくるだけで豊富なイラストレーションにわくわくしてくる。コンテンツは公式サイトを参照していただくとして、特に私の印象に残ったのは石川美南×ケヴィン・ブロックマイヤーのコラボによって生まれた短篇小説「大陸漂流」と、リディア・デイヴィスノルウェー語を学ぶ」。

 

前者は2013年春にニューヨークで開かれた英語文芸誌「Monkey Business」第三号刊行記念イベントが発端。これに参加した石川美南、ケヴィン・ブロックマイヤーの両氏が意気投合。石川作「物語集」をブロックマイヤーが読み、そこに掲載されている短歌のいずれかを「翻訳」したい、との意思を表明。それで、2016年に書かれたのがブロックマイヤーの短篇小説「大陸漂流」なのだ。この企画にはいくつもの「翻訳」が含まれている。まず双方がやりとりする時の「日本語⇔英語」という言語の翻訳、それからもうひとつ、「短歌→小説」という形式間の翻訳。さらにブロックマイヤーが英語で書いたものを『MONKEY』vol.12掲載にあたり柴田元幸さんが日本語に「翻訳」。

この短篇小説がとても気に入った。もとになった石川美南さんの短歌はこれだ。

 

「陸と陸しづかに離れそののちは同じ文明を抱かざる話」

『MONKEY』vol.12 26頁より引用

 

「大地がふたつに割れた夜、マヤとルーカスはそれぞれの家のあいだにはさまった丘の斜面に横たわり、手をつなぐともなくつないでいた。」(27頁)とはじまる小説は、時の流れと恋の断絶と、ふいの再会というものが、大陸の動き(地割れと合体)というダイナミックなものを背景に、静かに描かれている。とっても魅力的だ。

 

 

リディア・デイヴィスノルウェー語を学ぶ」は、アメリカの作家であるリディア・デイヴィスが、ノルウェーの作家ダーグ・ソールスターの「テレマルク小説」を辞書なしで読んだ、という読みの冒険の記録。ソールスターのこの小説はとても長い本で、「全面的に事実に即していて、物語の大半は1691年から1896年のテレマルクにおけるソールスターの祖先の誕生、結婚、死亡、資産取引をめぐる詳細な記述から成っており、事件のようなものはほとんどなく、迫真のドラマはほぼ皆無、作者による推測はたっぷりあり、そこここで記憶に残る人物が登場する」(103頁)。これが本当に「小説」なのかどうかは、ノルウェーでも物議を醸した(そうだ)。出版に対する体力をなくしつつある日本でも絶対に翻訳されないだろう、出版体力の回復が待たれる(笑)し、そもそもそのために読書家たちはわざわざ自分の読書時間を削ってまでこうやって発信しているのではなかったか?

そもそもリディア・デイヴィスがこのノルウェー語で書かれた本を読もうと思った理由も、結局「翻訳」を期待できないから、というのが大きかったようだ。ごく基本的なことしかわからない言語(ノルウェー語)を前にしたリディア・デイヴィスの読みの試行錯誤は、誤りも含めて、読む書くことに対する愛情に満ち溢れている。

 

小山田浩子さんの新作掌篇「世話」は、2017年5月にアメリカで行われた講演で披露されたものらしく、ブライアン・エヴンソンらとの対談で「ひどい悪夢」として披露されていた。小山田浩子さんがみたという悪夢をもとにした「世話」は、三歳の娘を抱いて実家の前庭に出た「私」がどこからともなく現われる(というか始めからそこに置いてあった?ふいに意識にのぼる)「トマト」と「油蝉の鳴き声」に包囲されていく作品だった。

他にも「菩薩は人を殺せるだろうか?」という問いでしめられる古川日出男さんの「宮沢賢治リミックス グスコーブドリの伝記 魔の一千枚(兄妹論)」、ポール・オースターがインタビューで語った米国の某大統領への素晴らしい批判「とにかく一貫性がないし、何を言い出すかわからないし、平気で嘘もつく。Xと言ったら次の瞬間にはYと言う。霧をまいて何も見えなくしている、なんて比喩じゃ足りなくて、霧ばかりか屁をこきまくってすさまじい悪臭に我々は何も嗅げなくなっているという感じだ。」(155頁)など、面白いコンテンツでいっぱいだった。

 

ちなみに次号は、食べることをテーマとした新作を並べるそうだが、よくあるグルメ特集などとは北極と南極ほどもかけ離れたものになりそう……とのこと(次号特集「猿の一ダース 食篇」(2017年10月15日発売)。

その視線から「永久に」逸れてしまうもの―ル・クレジオ『ロンド その他の三面記事』

今回はル・クレジオの短編小説集『ロンド その他の三面記事』を紹介したいと思う。

 

ロンドその他の三面記事

ロンドその他の三面記事

 

 

収録作品は、
「ロンド」「モロク」「脱走者」「アリアーヌ」「オロール荘」「アンヌの遊び」「気ままな生活」「越境手引人」「泥棒よ、泥棒よ、お前の生活(くらし)はどんなもの?」「オルラモンド」「ダヴィド」の11篇。


私が読んだことのある他の短編集に『海をみたことがなかった少年 モンドほか子供たちの物語』という本がある。こちらの短編集が書かれたのは1978年、今回紹介する『ロンド』は1982年。どちらの作品もル・クレジオにとって「自然」ではなく、意識的に作られ、獲得された極度に平明・単純な文体をしており、著者の初期作品を読みなれているひとの中には、この変貌ぶりに驚くひともいるのだと思う。本書の巻末についている訳者 豊崎光一の解説も「ル・クレジオ変貌?ーー子供、女、外人」と題されている。ル・クレジオの関心は「どう書くか」ということから「何を書くか」という方へ比重を移していったのではないか、という印象を私は単なる一読者として持っている。

好みの問題はあるけれど、私はル・クレジオが意識的に作り出してきたという「平明、単純」な文体が好きだ。光の描写ひとつとっても、様々な表情を持ち、時に貧しく悲惨な状況さえ神話のような輝きがみちあふれる。
『ロンド その他の三面記事』には『海を見たことがなかった少年』と似たモチーフが登場する。たとえば「オロール荘」に登場する神殿のように理想化された美しさは「モンド」で描かれるティ・シンの「金色の光の家」や、また「リュラビー」という作品で描かれる「カリスマ」という文字の書いてある六本柱のあるきれいなギリシャ風の家を思い起こさせる。それから「本来いるべき場所にいない」(たとえば決められた通りに学校に行かない)ことや、きつい生活のさなかに生きつつも、「ふらりとどこかへ行ってしまう」(実際の行動が伴うことも空想によるつかの間の逃避であることもある)ことやそれを予感させるというモチーフも似ている。しかし『ロンド その他の三面記事』と『海を見たことがなかった少年』は対照的な作品だ。後者においてはおそらく意図的に消されていた現実的な問題とそれに付随する悲劇が前者では際立っている。キーワードとして反復されるのは「空虚」や「静寂」であり、「永久に」いなくなってしまうこと(不法移民、子供っぽい失踪の果ての疲弊、死)、失われてしまうこと(例えば子供の頃の美しい記憶の喪失)が繰り返し描かれる。

これらのことは人の視線の届かないところへ消え去ってしまうことだと私は思う。なつかしむことや、先を見据えること、そういったまなざしはどれも自由なのだけれど、消え去ってしまうことは、取り返しのつかないことでどうやってもあらがうことのできない悲しみや苦しみがあるのだと思う。『ロンド その他の三面記事』に描かれる光は、あわい美しさというよりも、鋭さが強調されていて、厳然と存在する悲惨な現実を照らしているようだ。厳しい光が描かれていなけれが「灰色」だ。それは都市の場合もあれば、日の照りつける前の色でもある。冷え冷えとして、あたかもだれもいないよう。
さて、この本に描かれている「三面記事的な」エピソードをいくつか紹介したいと思う。今回取り上げたいのは「オロール荘」「脱走者」の二作品。

 

 

■「オロール荘」

 


本書に収められる作品のなかでこの作品だけが一人称形式で描かれ、そのモノローグ調のタッチが、失われてしまう事柄(場と記憶)の痛ましい残響を感じさせる作品である。
「雲の色をした大きな白亜のパレス」オロール荘と、かつての美しい庭の描写。ここを訪れてた頃の幼い「私」ことジュラール・エステーヴは、「オロール荘」という名も、そこに住んでいる人の名も知らないでいた。オロール荘に行くことを「野良猫の庭に行く」とか「壁の穴をくぐって行く」と表現していた。住んでいるひとのことは「オロール荘の奥方」と呼んでいて、その名のない記憶が神秘的に表現される。

 

 

だが私(ジュラール・エステーヴ)が彼女について持っている記憶は不正確で、とりとめがなく、辛うじて知覚できるようなものであり、彼女を現実に見たことがあると完全には確信が持てず、ときおり、むしろ空想で考え出した存在ではないのかといぶかられるほどだった。
(前掲書96頁ー97頁)

 

オロール荘の庭にある一種円環状の神殿に書かれていた言葉「Ουρανός」、「私」は長いあいだこの言葉を意味もわからず眺めていた。
「私」がオロール荘をオロール荘として、つまりその名をはっきりと認識する時にはもうそこへ行くことはなくなっていたし、そのころにはこの魔術的な言葉も消え失せていた。そのうちに開発は進み、思い出の奥底にあったオロール荘の姿は失われつつあった。

 

私は今しも理解したのだ、遠ざかることによって、私の世界から眼を離さずにいるのをやめることによって、その世界を裏切り、それをこうした変異に委ねてしまったのは私であると。私は他処を眺めていた、他処にいた、そしてそのあいだに、物事はすっかり変わってしまい得たのだ。

(前掲書105頁より引用)

 

「私」が再びオロール荘を訪ねた時、オロール荘の奥方の名前がマリー・ドゥーセであることを知るし、彼女に会うことにもなるのだけれど、そうしたことで「私」はもう何もかも失われていくことを悟るにいたる。「何ものも、今やここに領している傷痕、苦痛、不安を隠すことはできなかったから。」(118頁)
あとに残されるものは沈黙、もうオロール荘には誰も訪ねてこないだろうという大きな沈黙、それから都市によって暴力的に破壊されていくことを予感させる「野蛮な叫び」で物語は閉じられる。
物事には、はっきりしないが故にその存在が担保されるという側面もあるだろう。白黒はっきりさせてしまうと、ぼやけて消えるものの存在だ。この作品ではそういうものが回想の形式を用いて巧みに表現されている。「オロール荘」「マリー・ドゥーセ」とその名が明かされ、さらに実際にその場へ踏み込み、その眼でみることによってかえって失われてしまうものがある。ここで私は神話のリアリティということを考えてしまう。つまりそれは証明され得ないからこそ、確固たるものとして存在している(たとえその存在が人々の意識の中に限られたものだとしても)。なんでもかんでも証明して明示しようとすることが(こういう姿勢が科学の姿勢で、これはこれでとても重要なことなのだけれど)「近代化」であうとしたら、そういうことによって失われてしまったものなんていくらでもあるのだろうと思う。神話的輝きにあふれていたオロール荘や、幼少期のあわい記憶がそういう種類のものなのだろう。

 


■「脱走者」

 

 

何をしでかしたのかは知れないが、どこかの牢屋から「脱走」してきたタヤールが過去をなつかしみ、そこへの回帰を目指しているかのように山の中をさまよう。

 

兄といっしょにいて、二人で羊の群れの番をしていたとき、ここを歩いた、まさにここを。彼はそれをよく覚えている。
(前掲書51頁より引用)

 

山の中で眠るための「避難場所」を探すタヤール。過去の記憶を回想しつつ、追体験しているような書き方はまさに「避難」的であるが、空腹と渇きと疲労という現実の苦痛は容赦なくタヤールにおそいかかる。
そしてやがて「回想」すら悲劇的な様相を呈する。昔シェリア山の斜面でひとり兵士から隠れていたこと。ティムガードの遺跡(アルジェリア北東部)を通り抜けてランベサまで行き、食べ物と金と自分に残されている伝言を知ろうと行ってしまったライスおじさんは戻らない(おそらく死んでしまっただろう)。
そんな中、タヤールの前にひとりの小さな少年が現れる。「タヤールは彼をよく知っている、彼だとわかる。その子は彼に似ていて、まったく彼自身の影のようだ。」(69頁)
たしかに、この少年によってタヤールは一瞬救われた。しかし「彼自身の影」のような存在(過去の回想に登場するような小さかった頃の彼に似た存在)では、もはや現状を打破することはできはい。というより、むしろこの小さな男の子は兵士たちを案内し、タヤールの方へむかってくることを暗示させて作品は閉じられている。まるで過去や記憶にまで裏切られてしまったかのように。

 

今度は、あなたがゲームをする番だ―ル・クレジオ『愛する大地』

 

図書館で借りた古い文学全集にたまたまとりあげられていたために、巡りあう種類の小説がある。もしかしたら「あなた」にとって今回紹介するこの小説がそういうものになるかもしれないし、ならないかもしれない。「わたし」にとって、そうならなかったのは図書館の蔵書検索で著者の名前を事前に検索して作品の情報を仕入れていたからだ。なんて事務的な出会い方をしてしまったのだろう、もっと詩的な出会い方をしてみたかった。

 

ル・クレジオ 著、豊崎光一 訳「愛する大地」(『集英社版 世界の文学26 ソレルス / ル・クレジオ』所収、1976年) ※原題「TERRA AMATA」

 

この本には「たまたま」出会いたかった、本当は、とても。

「あなたは本のこのページをひらいた。」とはじまるこの本には。

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この小説は一種のゲームである。偶然性のゲームによってつくられている。

作品に書かれる「あなた」(読者)、「ぼく」(語り手、作者)、それから主要な登場人物であるシャンスラードという少年、これらの存在はいずれも交換可能性を有している。つまり、だれがどの立場に立っていてもおかしくはない、たまたま今、読者は「あなた」だった、それだけ。シャンスラードという少年の日常の断片が、時に微細なほどクローズアップして書かれ、また時に視点をずっと空高くに設定して見おろすように書かれる。シャンスラードという少年が見ていた風景を一読者として読んでいると思ったら、小説内の視線はいつのまにかシャンスラードさえ見下ろすような、シャンスラードの存在している風景全体に切り替わっていたりする。この感覚がとても不思議な読書体験になった。こういう語り方だからこそ、シャンスラードの遊戯の光景(レプティノタルサという虫(?)を見下ろし、鉄の格子を使って支配する)は、金属やコンクリートに囲まれた都市の中でうごめく人間のいる風景と重なって見える。虫たちを見下ろすシャンスラードは、都市の中に存在するたくさんいる人間のひとりでしかない。「シャンスラード」にフォーカスしなければ、格子の中で蠢く虫の群と変わらなくなってしまう。

 

それはどれもみなそこにあった。大地震や戦争は。レプティノタルサの破裂した躰の中、外に出たはらわたの中、格子の鋭い棒にはねかかった濃厚で赤い液体の中に。

雪崩は、音もなく落ちかかり、その何トンもの白い粉末の下に小さな躰の数々を埋めたのだ。静かな夜、なんでもないことで堤防は破れ、泥と水とでべたつく波が村に襲いかかって、家々をばらばらにし、木々を根こぎにし、男たち、女たち、眠っていた子供たちの口や鼻の奥深く入りこんだのだった。

あるいはまた、戦争が囚われの都市に猛威をふるったのだ。巨大な稲妻があり、眩い光の波が、一秒にして何千人もの人を気化させてしまったのだ。そして今、この地上には、あの傷口、あるいは下疳のようなものがあって、その永遠の傷痕を残そうとしていた。沸きたつ融岩でいっぱいな火口のまわりには、いくつかの物体がまだ立ったままでいた、千年も昔の城壁、半ば黒焦げになった電柱、古い屑鉄、蒸発した男の影が焼き付いているレンガ塀など。

こういったことすべてが同時に、今ここで起ったのだった、このアスファルトの歩道の上で、あの階段、あの男の子、あの格子、あのレプティノタルサたちとともに。またもう一つの罪、ただそれだけのことだった。そしてもうそれは忘れられていた。

(前掲書、150頁より引用)

 

ここで訳者解説を少し引用しておきたい。これは「遊戯小説」の実現なのだという。

 

この作品は、それまで以上に意図的に日常の平凡な細部を、本質的に反復されてやまないゲーム(jeu)として、反復を本質とするゲームの時間の中に提出しているところに特徴があるだろう。『調書』の書簡体序文が予告していた「遊戯小説」Roman-Jeuの実現である。ヒーローの名シャンスラードは、アダムやベソンと同じく曰くありげな名で、よろめく(シャンスレ)という動詞からの造語である。

(前掲書、340頁より引用)

 

この小説に時間の流れを感じるとすれば、それは目次のためだ。ずらりと並べてみるとこんな感じになる(最初と最後にプロローグとエピローグがあるが、以下には書かない)。

 

たまたま地上に / ぼくは生れた / 生ける人間として / ぼくは大きくなった / 画の中に閉じこもって / 日々が過ぎた / 夜々が過ぎた / ぼくはああした遊びをみなやってみた / 愛された / 幸せだった / ぼくはこうした言葉をみな話してみた / 身ぶりを入れ / わけのわからぬ語を口にして / それとも無遠慮な質問をして / 地獄にそっくりな地帯で / ぼくは大地に生み殖やした / 沈黙にうち克つために / 真実のすべてを言いつくつために / ぼくは涯しない意識のうちに生きた / ぼくは逃げた / そしてぼくは老いた / ぼくは死んで / 埋葬された

ル・クレジオ「愛する大地」の目次)

 

目次がひとまとまりの文章になっていて、ひとりの人間の(たとえばたまたまこの小説ではシャンスラードと仮定された人物の)一生の時間を直線的にあらわしている。読者はふつう、愛する大地の上で繰り広げられるシャンスラードの行動に寄り添って小説を読み進める。すると、突然こんな箇所に行き当たって驚く。

 

何が起ろうと、今や、このあまりに長い物語の結末が何であろうと、あなたはそれがあなたではなかったかのように振舞うことはできないのだ。あなたの眼を離すことはできず、ページを飛ばし、本を閉じて、小さなポケットやすりで爪を磨くことはできないのだ。そんなことはうまくいかない。他の人たちは、あなたが忘れてしまったのだと思うことだってあるかも知れない、だがあなたは違う。あなたはあなたから離れることはできないのだ。生きねばならぬ。生き続けねばならぬ。あなたの物語を語る絵入りアルバムを、こうやって最後まで読み続けねばならぬ。

この物語が面白いのは、それがあなたの物語だからだ。それはあなたの身の上に起こる唯一の面白い物語ですらある。あなたは身を横たえているベッドから、あるいは坐っている椅子から立ち上る。あなたは部屋を縦横に歩きまわり、通りとか庭で何が起こっているか、窓のところへ見にゆく。それからあなたは部屋の中央のほうへ戻ってきて、マッチで、あるいはライターでたばこをつける仕種をする。ある誰かが、例えばあなたの妻が、部屋の中にいるなら、あなたはこう言う。

「何時?」

「え?」

「今何時、って言ってるんだ。」

「五時十分よ。」

(前掲書、152頁より引用)

 

 

「あなた」は今、たまたまこのブログの記事を読んだ。いつもの習慣で検索でもして? それともブログ管理人のTwitterにのっていたURLから? それとも、だれかのブックマークや、どこかに落ちていた星(はてなスター)を拾うように辿ってきたのかしら?

「あなた」がもしこの小説を読んだなら、日常の中で反復し続ける「ゲーム」からおりることはできないということを知っているだろう。これがそう、「たまたま」出会いたかった本についての感想だ。そしてこれを書き終えれば「わたし」は本をぱったりと閉じて、図書館のカウンターの奥に、あの静まりの中へ返してしまう。

 

「今度は、あなたがゲームをする番だ。」

(325頁、この小説の最後の文)

 

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視線の中の夢が始まる―ル・クレジオ『メキシコの夢』

今回紹介するのは、ル・クレジオ『メキシコの夢』という本。この本は著者のインディオ諸文化研究の成果を〈夢〉というキーワードのもとにまとめあげたもので、原著は1988年8月に刊行された。ル・クレジオには1967年に義務兵役代替としてメキシコ市のラテン・アメリカ学院大学で教授職を務めたという経歴があり、そこから彼のインディオ研究が始まっている。『悪魔祓い』なんかもこのあたりの経験から生まれた思索であり、都市文明に批判を浴びせていた著者にとって、インディオ文化の研究はよほど重要なものだったのだろうか。

 

ル・クレジオ 著、望月芳郎 訳『メキシコの夢』(新潮社、1991年)

メキシコの夢

メキシコの夢

 

 

著者は本書で、ベルナール・ディーアス・デル・カスティーリョ『ヌエバ・エスパーニャ征服の真実の歴史』(邦訳『メキシコ征服記』)、ベルナルディーノ・デ・サアグン『ヌエバ・エスパーニャ事物全史』、『チラム・バラムの予言』、『ミチョアカン報告書』を軸に多くの文献を駆使しながら、メキシコ古代文明の姿を浮かび上がらせる。著者の、文化人類学者に近い冷静な学問的態度と、初期の作品から他界との接触を試みてきた小説家としての情熱が入り混じった著作だ。この混淆がまた、本書の記述を<夢>のように見せ、ことばの魔術のような力を発揮して読者を眩惑する。二つの異なった文明(征服者と先住民)の〈夢〉に著者の<夢>が介入することで、読者の前に情熱的なメキシコの夢が出現するのだ。それは滅ぼされた民族の<沈黙>でもある。この本は小説ではないけれど、学術研究書というわけでもない。どちらというわけでもないところがまた〈夢〉のようなエクリチュールを可能にしているのかもしれない。

 

メキシコ。このブログでもたびたび扱っているラテンアメリカ文学の作家が何人かいるけれど、ル・クレジオフアン・ルルフォに言及しているし、ラテンアメリカ文学でたびたび登場する「花の戦い」の思想的背景なんかも書かれていて興味深い。またカルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』の第二部新世界で描かれていた「ケツァルコアトルの再来」に関する錯覚についても書かれている。

円環する時間、破局を基盤とする創造の思想、物事は非連続、混沌が真実の姿であるという思想についても詳しく書かれていた。少し長くなるが引用しておきたい。

 

破壊の神話と洪水の神話の異なるところは、メキシコの民の思考においては、破壊は歴然と世界の創造と結ばれていることである。神々はつくったものすべてを破壊すると約束した。この世の生命とは最初の混沌と最後の混沌のわずかな時にすぎない。この神話の意味は何よりもまず宗教的である。破壊を逃れるため、人間たちは祈り、血なまぐさい生贄を捧げなければならない。だが破壊の神話は他方、アメリカンインディアンの哲学に霊感を与える。ヨーロッパ・ルネサンスの理想主義者が着想し得たような調和と黄金時代に成立する世界という思想とは反対に、インディオの世界は(特にアステカ、プレペチャ、マヤ族は)創造を破局の連続、つまりは非連続、混沌と考えた。この概念はキリスト教の概念の全く対立している。

(前掲書、273頁より引用)

 

参考までに『テラ・ノストラ』第二部新世界より、円環の思想についての部分を少しだけ引用しておこう。

 

老人は頭を振り、たしかに矢のごとき生命が存在すると答えた。矢は射られて、飛んでゆき、落下する。わが友の生命はそうしたものであった。しかし円環のごとき生命も存在するのだ。終わったと思われても実際には新たに始まっている。再生可能な生命があるのだ。

(カルロス・フエンテス 著、本田誠二 訳『テラ・ノストラ』第二部新世界、552頁より引用)

 

黄金というものに対する両文化(征服者と先住民)の価値観の違い、インディオの破滅に向かう暗い情念(そしてこういう思想がたぶん彼らの「戦い」の源泉になっているのではないか? と私は思ったのだけれど)が、ル・クレジオの文体で書かれる魅力的な一冊であった。

結局のところ、大西洋を隔てて、それぞれ干渉することなく発展してきた二つの文化圏があって、一方が他方を、わずかな時間のうちに消し去ってしまったという世界史上の悲劇がある。それは事実であるが、私はそもそもこの「二つの文化圏」が出会ってしまったということに注目したい。様々なレベルの「信仰」がたぶん世界を形作っていて、別のもの同士が遭遇してしまった時に、大きなインパクトが発生する。世界は平面であり、海の彼方は巨大な滝になって世界の涯に落ち込んでいる……こういうヨーロッパのキリスト教信仰による世界観が「新大陸の発見」を遅らせたという側面もあり得る。

この本の冒頭は征服者の(ベルナール・ディーアスの)純粋な驚きから書き出されている。その驚きの感情は「いかなる恐怖、いかなる憎悪とも無関係」のものだった。その驚きの視線で読者はこの本を読み始めることになる。征服者の驚きの視線と、この書物を読み進める興味を重ね合わせて書いてしまうところにル・クレジオの巧みさがある。「こうして、ベルナール・ディーアスの視線の中の夢が始まる。」(13頁)と、同時にこの本を読む者の読書体験は始まる。

世界史上の巨大なインパクト、全然ちがう二つのものが出会ってしまった時の驚きを、もう一度生き直すことさえ、ル・クレジオの文章は目論んでいるような気がしてしまう。

 

こうして二つの夢が出会い、一つの歴史が始まる。スペイン人にとっては黄金の夢、貪欲で、時には残酷の極にまで達する夢。まるで富や権力を所有することよりも、あらゆるものが永遠に新たになる黄金郷(エル・ドラド)神話の世界に到達するため、暴力と血の中で生れ変ることのほうが重要な、絶対的な夢。

一方、メシーカ族(アステカ族)にとっては、東の方、海のかなたから、新たに彼らを支配すべくケツァルコアトル(羽毛ある蛇)に導かれ、髭をはやした男たちがやってくるといういにしえから待ちわびられた夢。

二つの夢、二つの民族が出会った。

(前掲書、6頁-7頁より引用)

 

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ことばのちゃんぽん―温又柔「真ん中の子どもたち」

今回ご紹介する作品はこちら。

温又柔「真ん中の子どもたち」(『すばる』2017年4月号掲載)

すばる2017年4月号

すばる2017年4月号

 

※単行本が発売予定ですが、今回当ブログの記事での引用は『すばる』掲載時のものです。頁番号は『すばる』に依っています。

 

真ん中の子どもたち

真ん中の子どもたち

 

 

 

四歳の私は、世界には二つのことばがあると思っていた。ひとつは、おうちの中だけで喋ることば。もうひとつが、おうちの外でも通じることば。ところが、外でつかうほうのことばが、母はあんまりじょうずではない。

(『すばる』2017年4月号、10頁より引用)

 

温又柔「真ん中の子どもたち」はこんなふうにはじまる小説だ。

この作品を読むまで私は「母国語」というものに対して深く考えたことはなかった。なんとなく自分が普段しゃべっている言葉が母国語、その程度の感覚しかないのはたぶん私が日本生まれ日本育ちの日本語話者だからだろう。さらに本当に恥ずかしいことなのだけれど、両親のどちらかが「外国人」の家庭の子供は自然と(なんの葛藤もなく)バイリンガルになれていいな、くらいに思っていた(ごめんなさい)。母国語と国籍、本人のアイデンティティの拠り所、それらをあまりに無神経に一緒くたにして考えていた。

 

小説の語り手「私」こと、天原琴子(ミーミーとも呼ばれる)は台湾生まれの日本育ちで、国籍上は日本人。父が日本人で母が台湾人の家庭で育ち、家の「共通語」は日本語らしい。だけれども、まだ幼かった頃(台湾で暮らしていた頃)は「母のことば」を話していたから「中国語」を話すことができる。

(ずっと、母のことばを学んでみたいと思っていました)。

母のことばである中国語を本格的に学ぼうと上海に留学するも、言語教師である陳老師に台湾で話されている中国語(ミーミーの話す中国語)は標準的な中国語(普通话)とは違う、南方訛りだと指摘されてしまう。そんな「私」が「自分の根っこはまっすぐのみにではなく、あらゆる方向にむかってふくよかに伸ばせるものだと知」るまでの葛藤や、たくさんのよろこびが描かれた小説だ。

ミーミー以外の主要な登場人物たちもとても魅力的に描かれている。呉嘉玲(リンリンとも呼ばれる)は「中華民國 REPUBLIC OF CHINA」のパスポートを持っている。父親が台湾人だから日本の国籍を持っていないが日本育ち、家の「共通語」は中国語。龍舜哉、国籍上は日本人。でも自分では中国人だと思っているし、同時に日本人だとも思っている。「どっちにもなれる」と思っている。両親が彼の言葉によると「元中国人」で日本に帰化したために舜哉もたまたま日本の国籍を持っているのだ。ちなみに彼の話し言葉が一番おもしろく書かれていて、日本の「標準語」と関西弁と中国語が入り混じることもある。関西弁のことを「西日语」と中国語の領域に造語を作ってしまう。彼はことばのちゃんぽんの名人だ。

 

中国語や台湾語をちゃんぽんにする母のことばを瞬時にそれらしい日本語に言い換えられる私を、父は時折こんなふうに褒めてくれることがあった。

――ミーミーは、ママの最高の翻訳家だね

(前掲書、19頁より引用)

 

上海に留学した彼、彼女たちの先生(陳老師、日本語を学ぶ中国人学生たちは「陳先生」と表現していたりする)は言語教師としての使命に忠実であり、生徒にとても厳しく「普通活」を教える。ことばの癖として個人に染みついた訛り(特にミーミーの南方訛り)を徹底的に矯正しようとするが、それは「正しい」ことばを教えなければならないという職業上の使命ゆえであった。

しかし、中国は広い。「中国語」ってなんだっけ? と思ってしまうほど本当は色々な音があふれているのだと思う。作中に出てくる台湾語上海語は「普通话」とは違って「正しい」ことばではない。だけれど、「生きている」ことばだ。「生きている」ことばには、そのことばを話すひとの履歴みたいなものが無意識のうちに染みついている。だからこそ、ことばは常に変わっていく可能性を秘めているのではないだろうか。生きているひとがあちこち動き回るのに合わせてことばも動くように変わる。その動きを意識的にやれば龍舜哉みたいな造語作りもできてしまう。彼はこんなことを言う。

 

ナニジンだから何語を喋らなきゃならないとか、縛られる必要はない。両親が日本人じゃなくても日本語を喋っていいし、母親が台湾人だけれど中国語を喋らなきゃいけないってこともない。言語と個人の関係は、もっと自由なはずなんだよ」

(前掲書、69頁より引用)

 

縛られる必要はない。それは特定の○○語を話す、ということに限らず「ことばのちゃんぽん」をしたっていい。「標準」ではない変な喋り方をしていても、学問上のことでなければ気にする必要はない。

どういうわけか、社会やそれを取り巻く諸々の制度は「標準」を「真ん中」に据えようとしてくる。そしていつの間にか「真ん中」に据えられた「標準」こそ「正しい」のだという観念が浮き上がり、やがて「標準」以外のすべてを「周縁」に位置付けて「間違い」と断罪する。しかし、そういったものでは割り切れない個人と言語の関係はあるはずだ。様々な来歴を持ったひとびとが様々なトーンで自分のことばを喋る。そういうことばは常にゆらぎ、変化の可能性すら秘めている。真ん中の子どもたちは、その変化の可能性の中を生きている。どっちにもなれる、いや、二択ではなくて、もっと違う何かになるかもしれない。違った来歴のひととの間で便利な「共通語」も存在する。だけれどそれがすべてではないのは言うまでもなく、言語と個人の自由な関係の中で、「ことば」はあらゆる可能性を開花させようと根を伸ばしているのかもしれない。

何故か一緒に論じられることの多い言語(母語)と民族アイデンティティの矛盾をついた快作だと思う。このふたつは、必ずしも固定されてはいないのだから。

肖像を描くために―ル・クレジオ『アフリカのひと――父の肖像』

今回紹介する本はル・クレジオ 著、菅野昭正 訳『アフリカのひと――父の肖像』(集英社、2006年)

 

アフリカのひと―父の肖像

アフリカのひと―父の肖像

 

 

どんな人間存在にもすべてひとりの父親とひとりの母親による結果である。彼らを認めない、彼らを愛さないということはあっても、彼らを疑うわけにはいかない。とにかく彼らはいるし、彼らの顔、態度、物腰、癖、幻想、希望があり、彼らの手の形と足の指の形、眼の色と髪の色、ものの言いかた、考え、おそらくは死のときの年齢があり、それらすべてが私たちのなかに受けつがれているのである。

ル・クレジオ『アフリカのひと――父の肖像』11頁より引用)

 

自分が今ここに存在しているということ、それはまぎれもなく父と母が存在している(いた)ということだし、さらに父や母がそれぞれに存在するためにはその前の世代の父や母が延々と、史実としての正確さはおいておくとして、存在していたということになる。血筋というものについて考えていて気が遠くなるのは、この漠然とした、描きようのない顔や態度を備えた無数のひとが数珠つなぎになっているような気がするからだ。

 

このブログでたびたび話題にしているフランス在住の作家ル・クレジオは1940年4月13日に生まれ。8歳の頃(1948年)、母シモーヌと一歳半ほど年上の兄イヴ・マリーとともに南フランスのニースから英国籍の医師である父ラウル・ル・クレジオの任地ナイジェリアへ赴き、一年余り滞在したそうだ。この時の経験をもとにJ.M.G.ル・クレジオは『オニチャ』という作品を書いたのは以前ブログで紹介した通り。幼少の頃のアフリカ経験が後のル・クレジオ作品に様々な影響を与えている。

mihiromer.hatenablog.com

 

それはそれでとても重要なことであるが、この本が書かれた理由はそのアフリカ経験を書き残すためともうひとつ、父ラウルについてル・クレジオは知りたいと思ったのではないだろうか? と考えてしまう。

ル・クレジオにとって父はどこか取っ付きにくく、はじめて会った時(ナイジェリアに渡った時)はまるで知らない男を見たような感覚に陥るほど親しみのない人物であったらしい。その阻隔感がどうして生まれたのか、どのように持続したのか、作者の筆は回想と思索を書き出していく。

 

父は別のことを選んだのだった。たぶん誇りからだろうし、イギリス社会の凡庸さから逃れるためだろうし、また冒険の意欲からだろう。そしてこの別のことは無償ではなかった。それはひとを別の世界に投げこむことであり、別の人生のほうへ運んでいくことだった。それで戦時には世界から遠ざけられることになったし、妻や子供たちと会えなくなったし、ある意味では不可避的に異邦人にされたのである。

(前掲書、60頁より引用)

 

ル・クレジオ父子はこういう言い方が適当かどうかは置いておくとして「一般的な」関係にはなかった(はじめのほうに書いた通りふたりの間には阻隔感というものがあったらしい)。ル・クレジオは8歳頃まで父のいない世界(ヨーロッパ)を生きていたのだ。父はイギリスで医師の資格を取り、軍医(と言っても戦地とは無縁)という立場で植民地社会での医療に携わり続けた。

 

自分自身で作成した一枚の地図に、父はキロメートルではなく、歩行の時間と日数とで距離を記した。その地図に示されている詳細はこの国の大きさと、父がこの国を愛する理由とを説明している。浅瀬を歩いて渡れる地点、深い川あるいは荒れやすい川、登らなければならない斜面、道路のジグザグの箇所、馬では行けない谷底への下降、越えられない断崖。

(前掲書、93頁より引用)

 

20世紀、ヨーロッパ各国は植民地を持つことが当たり前だった。そんな歴史の中を生きた父がアフリカの地で経験した様々なことを、まるで追体験するようにル・クレジオは書く。そうして書き進め、父の肖像が浮かび上がるのと同時に少しずつ知っていったのではないだろうか。父の感じたアフリカの風土と、それを踏みにじっていく植民地権力、そしてその権力の側に自分自身が属しているということを父が知ってしまった時の深い苦悩。さらに「戦争」という断層のために自分の子供たちがほとんど「未知」の存在になってしまったという孤独。

本書には、20世紀という歴史的時間の中に自らの父を位置づけ、その中でひとりの人間として変わらざるを得なかった父の姿(アフリカのひとにならざるを得なかった父の姿)が書き記されている。そして書きながら作者は父の人生を理解していったのだと思う。まるで肖像画を描くように、その起伏、その凹凸を。

その名に星を秘めて、太陽にやかれて―ル・クレジオ『さまよえる星』

前回ブログ記事で紹介した『オニチャ』と合わせて作者の幼少時の思い出から生まれた〈二部作〉とされる『さまよえる星』という本について、今回は書いていこうと思う。フランスで刊行されたのは1992年4月だが、作者が≪ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール≫誌(1436号)でジャン・ルイ・エジーヌ記者に語ったところによると「さまよえる星」執筆は「オニチャ」(1991年)以前。「さまよえる星」の部分は書籍の刊行以前に発表されていたようだが、当時険悪だったイスラエルパレスチナ関係の中で政治的に利用されることを心配したガリマール社が刊行を見合わせたようだ。作者と面識のある訳者の望月氏の推測によると、「さまよえる星」の執筆はおそらく1986-87年、『メキシコの夢』(1988年)と平行していたのではないか、ということだ。

(以上、訳者あとがき参照)

 

 ル・クレジオ 著、望月芳郎 訳『さまよえる星』(新潮社、1994年)

さまよえる星

さまよえる星

 

 

この本の献辞は「囚われた子供たちに」となっている。さらにその次のページにはペルー民謡が引かれている。引用しておこう。

 

さまよえる星

束の間の恋人よ

おまえの道をたどってゆけ

海をわたり大地をこえ

おまえの鎖を打ち壊せ

(前掲書、冒頭部より引用)

 

戦争や紛争によって住む場所を奪われた人々、難民や移民として長い間さまよわなければならない人々、その中にいる子供たちが澄んだ眼で見ていただろう風景が、ル・クレジオの詩的言語で書かれた小説だ。

 

どんな細かなこと、どんな影にも、エステルは注意をはらっていた。近くにあるもの、遠くにあるもの、空を塞ぐカイール山脈(プロヴァンス地方の岩石の多い山脈)の稜線、丘のてっぺんに突っ立っている多くの松、とげのある草、岩、光の中に止まっている小蠅など、すべてを、ほとんど心が痛くなる思いで見つめた。子供たちの叫び声、娘たちの笑い声、どんな言葉も、犬の吠える声のように、エステルの躰の中で奇妙にも、二、三回、反響した。

(前掲書、52頁より引用)

 

「心が痛くなる思いで見つめた」ものが思い出となり、エステルの心にくっきりと刻印されていく。そういう思い出は、思い出される過程である種の暴力性をともなって人を傷つけることがあるかもしれない。普段は蓋をして決して心の表層に浮かんでこないような事柄がある日ふと思い出され、再びその人を傷つける、傷つけ続ける。苦難の時と回想による傷を長く抱えていかなければならないのはいつだって子供たちだ。

 

ユダヤ人の少女エステル、パレスチナの少女ネジュマ――二人の少女を主人公に、第二次大戦以来の両民族の苦難と遍歴を、自らの少年期の体験を交えて、透明感あふれる言葉で綴る長篇小説。(本の帯文より)

 

エステル(エレーヌ)は時々父に〈エストレリータ(小星ちゃん)〉と呼ばれていた。それからネジュマ(NEJMA)はアラビア語で<星>を意味する。つまりふたりの少女はどちらもその名に星を秘めている。

「光」というものを印象的に描くル・クレジオであるが、この作品では「太陽の光」が暴力的といってもよいほどに輝いている。そこからは逃れることも抗うこともできない。「影」は束の間生じる静止だが、難民となってしまうエステルやネジュマは絶えず移動し続けねばならない、それは太陽の光にやかれることだ。逃亡や密航はどこか暗いイメージを持っているがそのイメージの中を<星>を秘めた少女たちは生きる。

<忘れるために出発しなければならない>という言葉を、読者は何度か読む事になるのだけれど、出発する度にそれ以前の時間がまるで別の人生であるかのようなものに変わってしまう。振り返ってみても自分の人生が一本の直線として俯瞰され得ない、どこかで断絶してしまっていると感じること、これは痛み以外の何ものでもないと思う。

しかし、そのかわりなのか、エステルの人生は全くの他者とつながっているように思える。もうひとりの少女ネジュマの人生だ。ふたりはエルサレム近くのシロエの街道でたまたま一度だけ出会った。エルサレムに入ろうとするエステルと、出て行かなければならないネジュマ。その時ネジュマは一冊の表紙が黒いノートを持っていた。少女は最初のページの右上に大文字で「NEJMA」と書いた。差し出された鉛筆でエステルもそのノートに自分の名前「Esther Greve」と綴った。

 

あの日、あの娘は来、その顔に、わたしはわたしの運命を読んだ。まるでずっと昔から、わたしたちは出会わなければならなかったかのように、ほんとに一瞬の間だったけれど、わたしたちは心が一つになった。

(前掲書、204頁ネジュマの語り、引用)

 

後年、エステルはネジュマのことを思い出す。エステルも黒いノートを買って、その一ページ目に彼女の名前、ネジュマと書いた。それからあとのページに毎日少しずつ書かれていくのはエステルの生活なのだが、あるいはそれはネジュマが生きることになっていた時間だったかもしれない、と読者に思わせる。メモを取りながら分析するように読むとそんな混同は起こらないかもしれないが、一読し本を閉じて今まで読んできたことを頭の中で反芻するように思い出そうとするとエステルとネジュマの人生の一部が重なってしまうような気がしてくる。小説で語られることがなかったネジュマの時間をエステルが生きているようにも思える。

エステルが母エリザベトの遺灰を海にまくシーンで小説は終わる。その少し前、病を得て病院の簡易ベッドで横たわる母をエステルは見舞うのだが、ここに費やされる言葉の美しさ、豊かなイメージの広がりに私は少しだけ救われるような気持ちになる。

 

私は待っていた、呼吸をしていた、生きていた。輸液は管を通って、一滴一滴、母の血管に注がれる。言葉も輸液と同じで、一語一語、いつのまにか、とても低く、とてもゆっくりと入ってゆく――太陽、海、黒い岩、鳥の群の飛翔、アマンテア、アマンテア……薬、注射、荒っぽく、恐ろしい治療、そして突然、私の手の中にあるエリザベトの手が、苦痛の力とともに痙攣する。ふたたび、時をつなぎ、もうちょっとこの世に留まらせるため、立ち去らぬようにするための言葉、言葉。太陽、果実、グラスの中にきらめくブドウ酒、小型帆船の先細のシルエット、午後の炎暑の中で睡りこんだアマンテアの街、裸の肌の下のシーツの爽やかさ、閉じられたよろい戸の青い影。私もそれらを知っていた、私も父や母といっしょにいた、その影、その爽やかさ、その果肉の中にいた。戦争はまったくなかったし、あまりにもなめらかな海の広大さを乱すものは何もなかった。

(前掲書、295頁より引用)

 

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